仏教は抹香臭いものではありません。
日本人は、「葬式仏教」ということばもあるように、仏教は死者のためのもの、お坊さんの仕事はお葬式だと思っています。これは冗談なのですが、わが子が登校拒否をしたので、お寺の和尚さんに相談に行ったら、和尚さんは、
「わしはナマモノを扱わんのじゃ。死体になったら持っておいで」
と言ったそうです。巷間では、仏教は抹香臭いものと思われています。
しかし、それは違うのです。
本当の仏教は、わたしたちに「生き方」を教えてくれます。それも、「幸福になる生き方」を教えてくれるのです。
仏教の開祖のお釈迦さまは、人々に「幸福になる生き方」を教えられました。
たとえば、わが子が死んで悲しんでいる母親に、お釈迦さまは生きる勇気を教えられたのです。決してお葬式のやり方を教えられたわけではありません。
そこで、本書では、幸福になる生き方を仏教に学ぼうとしました。本当の仏教の教えを学ぼうというわけです。
では、お釈迦さまが現代日本人に何を教えられたかといえば、それは、
「がんばるな

」
ということだとわたしは思います。日本人はあまりにもがんばりすぎています。そして、がんばることがいいことだと思っています。
でも、がんばることはよくないのです。
なぜかといえば、がんばるということは、自分の利益を追求していることなのです。
がんばっている人は、他人を思い遣る心の余裕がありません。それは、本質的にエゴイズムなのです。
仏教の教えは、もっとゆったりと生きようということなのです。仏教のことばでそのことを言えば、
──中道──
になります。わたしは、この「中道」を「いい加減」と訳しています。「いい加減」というのは、お風呂の湯加減を考えるといいでしょう。熱い湯の好きな人には熱い湯が、ぬるい湯の好きな人にはぬるい湯がいい加減です。人それぞれのいい加減があるのです。そのような自分のいい加減を見つけて、ゆったりと生きるようにお釈迦さまは教えてくださったのです。あまりにもがんばりすぎている現代日本人には、この仏教からのアドヴァイスがきっと役に立つだろうと、わたしは信じています。
それともう一つ。今年(一九九五年)はオウム真理教事件が起きました。わたしはかねがね日本人は宗教音痴だと言っていたのですが、この事件は明らかに日本人の宗教音痴に起因しています。本物の宗教を知らないから、いや、知ろうとしないから、インチキ宗教にしてやられるのです。
そのような意味で、読者はぜひとも本物の仏教の教えを知っていただきたいと思います。第二、第三のオウム真理教のような事件を起こさないためにも、それが必要なのです。そのような願いをこめて、わたしは本書を執筆しました。それ故、多くの人に本書を読んでいただきたいのです。
合掌
一九九五年 十月八日
ひろさちや