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これが仏教
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生き方・教養
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“裏切り”ではなく“過ち”と考え、許せる心を持とう

『これが仏教』
[著]ひろさちや [発行]PHP研究所


読了目安時間:8分
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謝罪すれば殴ってよい


 ずっと昔、わたしが大学院の学生であったころ、オーストラリアから来た留学生がおもしろいことを言った。日本語がそれほど堪能でない彼は、街で拾った日本語の意味がわからないというのである。

 喧嘩をしている男たちがわめいていて、そのうちの一人、旗色の悪いほうが、
「俺がこんなに謝っているのに、殴るなんてひどいじゃないか?」

 と、そう主張していた。あれは、どういう意味なんですか……と問われて、こちらのほうがわからなくなった。

 よく聞いてみると、オーストラリアであれば、謝るということは、相手に殴る権利を認めたことになるらしい。つまり、「俺が悪かった。おまえは俺を殴っていいよ」の意味になるのであり、謝っているのに殴るとは卑怯だ──と日本人が言うのは、論理的におかしいと感じたらしい。謝罪の意味が、日本と欧米では違っているようだ。

 そういえば、アメリカなどで交通事故を起こした場合、日本人が気軽に、
「アイム・ソーリー(ごめんなさい)」

 とやるのは、トラブルの原因になるらしい。相手が百パーセント悪い場合でも、こちらが「アイム・ソーリー」をやると、おまえは自分が悪かったと認めたと、過失相殺を主張されると教わった。

 これは欧米だけではない。中国を旅行したとき、店の前で客と主人が喧嘩をやっている。口角泡を飛ばして、わいわい、がやがやとまくしたてている。延々十分ほども続けていた。
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