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これが仏教
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生き方・教養
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私だけの悩み、苦しみと向き合う自覚を持とう

『これが仏教』
[著]ひろさちや [発行]PHP研究所


読了目安時間:8分
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愚癡ではあるが……

「どうして、わたしだけがこんなに苦しまなければならないの……」

 われわれは人生に疲れきったとき、このようなことばをつぶやく。

 もちろん、このようなことばは「愚癡(ぐち)」である。「愚癡」というのは、言ってもしかたのないことを言って嘆くことである。どうにもならないとわかっていながら、われわれは愚癡を言う。まことに愚かなことばである。

 けれども、じつはこのことばは、ある意味では正しいのである。

 基本的には、愚かなことば、馬鹿げたことばであるが、一面の真理がある。

 これが愚癡であるのは、「わたしだけが……」と言うとき、わたしたちは実際に他人のことをよく知っているわけではないからだ。自分だけが苦しんでいるかのように思っているが、人生に苦しんでいるのは自分だけではない。多かれ少なかれ、たいていの人がみな苦しんでいるのである。
「すべての幸福なる家庭は互いによく似ているが、不幸なる家庭はそれぞれの流儀で不幸である」

 ロシアの文豪トルストイは、『アンナ・カレーニナ』の冒頭をこう書きはじめている。不幸なる家庭はそれぞれの流儀で不幸なのであって、だから外から見てはわからない。お金がいっぱいあって、社会的にも身分の高い人が、ときに離婚をする。世間はびっくりするが、その家庭は不幸であったのだ。

 したがって、われわれが「わたしだけが、どうして?」と問うのは、まちがいである。
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