1618年〜1648年
名家ハプスブルク家、700年の栄華
元は一地方小領主にすぎなかったハプスブルク家は、戦争と婚姻によって巧みに領土を拡大していった
▼婚姻政策によって一躍ヨーロッパの主役に
中世から近代のヨーロッパで最大の名家はどこかと問われれば、迷うことなくハプスブルク家と答えるだろう。その栄華の跡は今もウィーンやブダペスト、プラハなどに残されている。
ハプスブルク家はルドルフ伯が1273年に7選帝侯から「ローマ人のドイツ王」に選出されたことにはじまる。ドイツは領邦諸侯の連合体であったが、名目上は神聖ローマ帝国というひとつのまとまりをもっており、国王はローマ法王から戴冠されてはじめて神聖ローマ帝国皇帝になるという慣習法があった。