『小さな庭でも幸せガーデニング』
[著]三橋理恵子
[発行]PHP研究所
草花たちを育てていて、いつも思うことがある。それはちっぽけなたねが、芽を出して生長して、やがて花咲かせる喜びを、生きている限りずっと味わえるということ。日本の温暖な気候は当分の間続きそうだし、そうなれば春夏秋冬は順番どおりやってきてくれるにちがいない。
人生には、忘れてしまいたい現実や将来の不安などもあるけれど、草花たちのことを考えているときだけは、そんなことも忘れて、やがて咲いてくれるだろう花たちの、輝かしい未来に思いをはせることができる。
春には夏花壇をイメージし、秋には来春に咲くチューリップやアネモネたちのことをぼんやりと考えている。移り気といわれても、気が多いといわれても、ガーデニングのいちばんの愉しみといえば、これにつきるなあ、とつくづく思う。
私はいつも次のシーズンを心待ちにして、わくわくどきどき。明日を見つめる瞳だって、いつもきらきら輝いているにちがいない。その瞳の奥には、物思いにふけっているような、パンジーの可愛い顔が映し出されていたりして。わくわくするようなことを生きているうちにたくさん味わえれば、人生はよりハッピーに生きられる。ならば、花を育てている私は、日々幸せをかみしめていることになる。
だから、花を育てている私たちって、誰よりもより心豊かな人生が送れるような気がするけれど、どうかしら。要は気のもちかただと思うけれど、草花が私の心を癒してくれる大切な存在であることは確か。
きっと私はこれから先もずっと、たねをまいて草花を育てつづけるだろう。そして、草花たちが生長していく姿を、どきどきはらはらしながら見守りつづけていくのだろう。この愉しみだけは、いくつになっても変わらないわけだから、歳をとることだってまんざら悪くはなさそう。
その頃にはもっとガーデニングが上手になっていて、花だってもっと上手に咲かせられるようになっていて、などと想像していると、これから先が愉しみになってくる。
ガーデニングは経験がものをいう部分が大きいから、長く続けていくことは大切。何せ季節が一巡するには一年という歳月が必要なのだから。誰もが失敗を幾度となく繰り返して、だんだん真髄のようなものに近づいていくのだと思う。
それには、いつまでも、自分の花育てに満足せずに、もっともっとうまく草花たちを育てたいと思いつづけることが大切なのだろう。今年より来年、来年より再来年、少しずついろんなことを経験していけば、十年後、二十年後には、いまとはひと味もふた味も違った花づくりができるにちがいない。
そんなふうに、私はいつも未来のことばかり考えて、顔をゆるめている。そんな状態だから、現実の手入れがいつまでたってもはかどらないのかもしれない。未来のこともいいけど、まずは今日。現実の庭を見つめなくては……。
いまも庭を見ると、カンパニュラは水切れでしおれかかっているし、セリンセの青緑色の葉にはエカキムシが這ったあとがいっぱい。ああ、無残なこの現実。ぼんやり考え事をしている暇なんてないみたい。そうして私は今日も庭へといそいそと出て行くのである。