「お坊さん」は聖職者か
交通違反でおまわりさんにつかまった人が言った。
「なんだポリ公──」
おまわりさんは、血相を変えて怒ったそうだ。そりゃあそうだろうよ、そんな失礼なことばはない。でも、この違反者も負けていない。
「ポリスにポリ公と言って、なぜ悪い……? 警官は、英語でポリスではないか」
「しかし、“公”がいかん。“公”が失礼だ」
と、おまわりさんが言った。すると、つかまったほうは、こう応じたという。
「“公”というのは尊称だ。明治のころは、目上の者に、“貴公”と呼んだではないか──」
友人がそんな話を教えてくれた。でも、自分じゃないよ……と、彼は弁解していたが、怪しいものだ。わたしが、
「“公”は公務員の“公”だと言ってやればよかったのに……」
と、いらざることを言ったとき、彼は「しまった

」といった顔をした。だから、たぶん彼自身のことだと思う。やりそうなタイプの人間である。
どうも、ふざけた話から書きはじめて恐縮している。ことばというものは、時代によってずいぶん変遷するものだなあ……と考えていたら、前に聞いたこんな話を思い出したので書いてみた。友人が言ったように、たしかに“貴公”ということばは、昔は尊称であった。『広辞苑』にも、
「貴公──(本来は目上の男子に対して、のち、同輩またはそれ以下の相手に対して用いる呼び方)そこもと。おてまえ。きさま。おまえ。きみ。」
と解説されている。“きさま”も“おまえ”も、本来は尊称であったのだ。それがだんだんに、下落してくるところが面白い。
“先生”という呼び方はどうだろうか……。わたしは学校の先生をしているので、“先生”と呼ばれてもなんとも思わない。しかし、知人に八百屋の若旦那がいて、この人は“先生”と呼ばれるとムッとくると語っていた。彼にとっては、“先生”は蔑称らしい。そうかと思えば、“先生”と呼ばぬと機嫌の悪くなる“代議士先生”もおられるらしい。つまり“先生”は、いまや安売り直前の呼称のようだ。