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死者は生きている
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第三章 英国心霊現象研究協会(SPR)

『死者は生きている』
[著]和田惟一郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間0分
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 ドイルが熱を込めて、個人の生き方と社会を創造的に一変させるもののように説く心霊主義は、現代でももちろん正統科学で認められたものではない。科学者がそれに取り組めばカースト(地位)を失うのは、百年前と同じであろう。

 では、ドイルが熱情をこめて正面から主張した心霊主義を、どう扱うべきだろうか。それはもちろん、さまざまな面から冷静に合理的に検討し、判断すべきであろう。カーストを失う科学者はともかく、わたし達は科学的合理的にそれができるはずである。

 とはいえ、ドイルが語ることを多面的に理解するには、少なくとも心霊現象に関して、ドイルが知っていた程度の知識があったほうがいい。ドイルが記述する事件や人物についても、手掛かりくらいは欲しい。こう考えたとき、浮かんでくるのは心霊研究に関するひとつの団体である。それは既に述べた英国心霊現象研究協会(SPR)である。ドイルも所属したこの団体は、英米のこの種の団体のほとんどが心霊現象や霊能者をセンセーショナルに扱い、非科学的な情報をまき散らしていたなかで、学術団体として厳密で抑制的に情報を選別し、分析研究を続けていた団体である。

 ちなみに、歴代のSPR会長をあげてみると、後に英国首相となったアーサー・バルフォア、ノーベル賞生理学者のシャルル・リシェ、哲学者のベルクソンらがいた。また会員もしくは有力な支持者には、マーク・トウェイン、ルイス・キャロル、カール・ユングらがいた。

 このように、ノーベル賞受賞者たちをはじめ、名だたる学者や社会的地位のある人物が多数参加したこの団体は、その情報の良質さ、またその量において、心霊主義を吟味する宝庫と言っていいものがある。そして何より、その創立者はじめ歴代の指導者の心霊現象に対する疑問や葛藤自体が、科学者として葛藤するひとつのドラマであり、それは心霊現象についての理解と洞察を深めさせてくれるよすがとなる。

 このSPRをひとつの土台にすると、ドイルの心霊主義への理解が深まるだけでなく、彼の主張についてそれが合理的で妥当なものかの判断も、おのずとついてくるだろう。

シジウィック哲学教授とSPR


 ドイルの当時、英国にはいくつかの心霊主義の団体があり、サロン的な集まりやグループも含めれば、英国じゅうに何百と存在していた。こうした英国で一八八二年に創立されたSPRは、比較的遅くに現われた後発の団体だった。

 このSPR発足の中心人物は、初代SPR会長を務め、生涯、SPRを自分の分身のように感じていたヘンリー・シジウィックであった。ドイルの心霊主義を語るときSPRが欠かせないように、SPRを語ろうとするとき、シジウィックは欠かせない。このドイルとはある意味で性格的に対称的な人物は、その慎重さと内向性、一種の優柔不断によって、科学的で偏向のないSPRを立ち上げるとともに、SPRに現在にいたるまで活動を続ける権威を付与したのである。

 このシジウィックに焦点をあて、なぜSPRが英国で創立されることになったのか、そしてどのような方針でどのような活動をしたのか、そこでどんな事件が起こったのかを見ていこう。

キリスト教を信じられなくなった聖職者の息子


 シジウィックの思想と行動を理解しようとするとき、念頭におくべきなのは、彼が裕福な聖職者の息子だったことだ。そしてシジウィックの生まれる前から、時代はキリスト教信仰から科学信仰の時代に大きく振れていたことを直視しなければならない。

 彼が生まれる半世紀も前から、科学は宗教や哲学より上位のものであり、科学が証明できないことは真理と言えない、とする科学信仰が力を増していた。ナポレオン一世がフランスの高名な物理学者ラプラスに、神についてどう考えるかと質問したとき、ラプラスはそのような仮定(、、)を想定する必要はないと答えている。なぜなら世界の全ての物体と粒子の運動状態がわかれば、これからいつ何が起こるか、どのネズミがどの猫に捕獲され食べられるかにいたるまで、ニュートン力学によって全てが予見できるから、とラプラスは答えたのだ。このラプラスの答にナポレオンは夜空を指さし、しかしこの満天の星はいったい誰が創ったのだろうか、と言ったと伝えられている。

 ニュートン力学、つまり宇宙や地上にいたる全ての現象は物質とその運動の法則で説明できるという説が、既に十八世紀に科学的真理とされ、この物質科学が人々の意識から神を追い出すほどに確固となりつつあったのである。

 さらに、ニュートン力学以上にキリスト教信者を打ちのめしたのが、ダーウィンとウォレスによる進化論であった。進化論はひと言で言えば、全ての種は適応と繁殖の能力を進化させることで現在の種になった、という説である。進化論は聖書が教える、神による人類創造説を真っ向から否定するものだった。

 しかも進化論が意味するのは、人間もまた下等生物から進化した種であり、猿などの獣と同列の存在ということである。シジウィックが成人する頃に世に現われたこの進化論は、人間に特別な地位をいっさい認めないという点で、神の存在を完全に否定するに等しかった。

 進化論が衝撃的に世に現われると、不可知論や無神論に染まっていた知識人はそれを熱狂的に受け入れ、進化論はこの時代のあらゆる社会現象を正当化する強力な理論になった。こうして知識人たちは、キリスト教を非科学的な迷信、古くさい気休めとさえ見るようになったのである。

 高位の聖職者の家系に生まれ、しかも非常に知的で繊細なシジウィックにとって、キリスト教を棄てることは思想と哲学、そして道徳の基盤がなくなることを意味した。この喪失を、科学は埋めることができるのだろうか。

 ニュートン、デカルトの物質科学がそれになり得るとは、シジウィックには思えなかった。物質科学と宗教の間には何かが欠けている、とシジウィックは思った。こう思ったのは無論、シジウィックだけでない。多くの知識人、特にキリスト教をバックボーンにしていた人々の多くがそう思った。そしてこれらの人々の前に、当時の英国でブームになっていた謎の現象、心霊現象が現われたのである。

シジウィックに同調した大学院生たち


 聖職者の道をすて学者の途を選んだシジウィックは、ケンブリッジ大学で古典学を学び、哲学と倫理学の研究を熱心にした。若くしてケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの古典講師となったシジウィックは、一八七四年、『倫理学の諸方法』という著作を出版し、これがカントの思想の延長にある秀作と認められ、倫理学の重要な地位を占めるようになる。

 シジウィックの場合、天才的な頭脳とともにその誠実で公正無私な性格も、ある意味で頭脳以上に評価できるものだった。彼はビクトリア朝時代の女性の地位の低さを社会的不正義と感じ、女性が教育を受ける権利の獲得運動に熱心に取り組んでいる。

 もうひとつ、シジウィックが熱意を見せたのが心霊現象の探究だった。彼は霊媒や霊能者を次々と訪問し、彼らが起こす霊現象を冷静かつ徹底的に観察した。彼の期待に反して、霊媒や霊能者のほとんどは、人間の力を越えるものを見せることができなかった。シジウィックは巧妙なトリックや装置の存在を次々と見破った。

 しかし、霊媒や霊能者の起こす現象が、全てインチキや錯覚であるとは言いきれなかった。わずかではあるが説明のつかない現象、彼を呆然とさせる出来事が確かに存在したのである。シジウィックは心霊現象のなかに「道徳なき宇宙」という概念を否定する何かを、感じとったと告白している。

 シジウィックは心霊現象を、広く客観的に理性的に研究するに値する分野だ、と確信した。そしてそれは自分ひとりでなく、学者や研究者など多くの人間によってなすべきだということも。

 内気なシジウィックがまず眼をつけたのは、古典学と哲学を教えた弟子、フレデリック・マイヤーズだった。マイヤーズはシジウィックと同じように裕福な聖職者の息子だったが、シジウィックが唱えた女性の教育権に賛同していた。もしマイヤーズがまだキリスト教をバックボーンにしていたら、キリスト教の教義から女性の教育権に反対するはずだった。シジウィックはマイヤーズに、キリスト教を信じられなくなった者の喪失感を嗅ぎとったのだ。

 マイヤーズはシジウィックが思ったとおり、心霊現象の理性的で科学的な研究というテーマにまったく抵抗がなかった。彼もまた科学と宗教の断絶に、その間を埋める中立があり得ないような状況に、何かが欠けていると思っていたのである。マイヤーズはまるでそれを待っていたかのように、シジウィックの心霊研究の提案に同調した。

 その後マイヤーズはSPRの創立のために、またその運営と心霊現象の調査研究に、大きな役割をはたすようになる。ケンブリッジ大学の優秀な学者であるマイヤーズは、冷静すぎて優柔不断にすら見えるシジウィックの活動を補完するように、心霊現象とその彼方にある死後の世界の実証を求めて、ほとんど生涯を(そして後に述べるが、死んでから以降も)SPRの活動に捧げるのである。

 シジウィックがもうひとり眼をつけたのは、ケンブリッジ大学で法学と哲学を学ぶ学徒で、マイヤーズとともに三人で哲学や文学を論じあう仲間、エドモンド・ガーニーだった。ガーニーもまた非常に裕福な聖職者の息子で、莫大な遺産を受けつぎ、医学や音楽で一流になるべく大学で学んでいた人物である。

 シジウィックが知りあった頃、ガーニーは医学と音楽での成功を諦め、ケンブリッジ大学で法学と哲学を学んでいた。彼もまた非常に優秀な学徒だったが、それとともに長身と非常な美貌で人目をひく存在だった。シジウィックは、その外形以上にガーニーの魅力ある人格にひかれていたのである。

 しかし、シジウィックが霊界の調査を手伝ってくれとガーニーを口説いたとき、ガーニーは乗ってこなかった。それがどれほど困難で実りが期待できないものかが、ガーニーには容易に想像できたからだ。しかし慎重なシジウィックは、少々なことでは諦めない人間であった。

 シジウィックはガーニーに、心霊研究に関する文献を次々に送りつけた。そのなかにはクルックスがD・D・ホームを実験した、詳細な報告書もあった。ガーニーの机の上は、シジウィックが送りつけた心霊研究の最新資料で山のようになった。

 それらに眼を通すうちに、ガーニーは自らの心の底にあるものに気がついた。彼は二年前、三人の妹をナイル河のボート事故で失っていた。人間に押しよせるこの苦しみの不当さは、ガーニーの胸に深い傷となって刻まれていた。もしクルックスの実験報告が示すように、この世に科学を越える力や現象があるなら、それを突きとめたい。それはガーニーの心の底にある強い願望だった。ガーニーはシジウィックとともに歩むことを決意し、その生涯をほとんど全面的に心霊研究とSPRに捧げることになるのである。

聖職者の息子たちはなぜ心霊研究に真剣だったのか


 シジウィックを中心とした心霊研究に最初に結集してきたマイヤーズとガーニーは、シジウィックと同じく高位の聖職者の息子だった。
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