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仏教に学ぶ八十八の智恵
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生き方・教養
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第四章 精進 おおらかに、そして努力を……

『仏教に学ぶ八十八の智恵』
[著]ひろさちや [発行]PHP研究所


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   精進(しょうじん)

    精進とは、「努力」の意。仏道修行につとめようとすることである。そのため、在家の信者も一カ月に数日は、僧侶と同じような生活をおくる慣習があり、その日を精進日といった。そして、精進日には、僧と同じように魚肉を食べなかったので、魚肉を使わぬ料理を精進料理という。


  40 努力と迷い

 二十九歳で出家された釈尊は、六年間にわたる修行ののち、三十五歳で悟りを開かれた。ブッダガヤーの地、一本の菩提樹(ぼだいじゆ)の下においてであった。

 降魔成道(ごうまじようどう)――。仏典は、菩提樹下における釈尊の開悟をそのように呼んでいる。なぜなら、悟りを開かれる直前、釈尊は悪魔との大きな闘いをなされたからである。悪魔と争い、この悪魔を降伏させることによって、釈尊は悟りを得られたのであった。したがって、降魔と成道とは、同じことの表と裏とに相当する。

 悪魔とは、サンスクリット語で「マーラ」という。マーラ(悪魔)はまた「天魔」とも呼ばれる。天魔とは天界に棲む悪魔の意である。では、なぜマーラは天界に棲むのか……?

 天――とは、
「天にものぼる心地がする」

 という、そんな意味での天なのだ。うれしいとき、楽しいとき、われわれの心は天にあるような気がする。天界とはそのような心のあり場所(ヽヽ)であり、同時にそのような心の状態(ヽヽ)なのである。

 心の状態としての天界には、さまざまな段階がある。われわれ凡夫が、ときに感得できるような天界。あるいは、禅の修行者が坐禅によって達することのできる無念無想の境地。さらには、仏や菩薩が自由にそこで法悦にひたっておられる悟りの境地。

 そして、凡夫の感得できる天界にも、いろいろと段階がある。無心になってピアノを弾き、あるいは読書三昧に耽る。そんな無心や三昧も、低次の段階ではあるが天の境地である。さらには、凡夫が凡夫でありながら、仏道を学び、仏道に励まんとする気持ちを抱くことがある。そのような気持ちこそ、まさに凡夫としての最高の天の心境である。

 マーラが天界に棲む――といわれるその天界は、この最後のものをいう。それは、あえて仏教の術語で言えば、欲界(よくかい)の第六天である。欲界とは、欲望と煩悩(ぼんのう)の世界、つまりは凡夫の世界である。しかし、欲界にも天の境地があり、第一から第六まで段階づけられている。第六天は、したがって欲界の最高天である。悪魔はここに棲む。

 これは重要なことである。人間というものは、最高のものをめざして努力をするとき、その最高のところに悪魔がいる。一歩一歩の向上をめざす人間は、その一歩一歩において悪魔と闘い、これを克服すべきなのだ。仏教において、悪魔が天魔と呼ばれるゆえんは、そこのところにある。わたしはそのように受け取るのである。

 裏返しにこれを言えば、次のようになるであろう。われわれがなんの努力もせず、のほほんと懶惰(らんだ)に生きるかぎり、天魔は登場しない。天魔は、そのような人間を相手にする必要がないからである。

 天魔はむしろ仏道のうちにある。仏道の精進(しようじん)をつづけるとき、そこに天魔があらわれ、われわれになにごとかを(ささや)きかける。その天魔の囁き――性の誘惑、欲望と嫌悪、飢渇妄執、懶惰、恐怖、疑惑、強情の囁き――に抗しつつ、われわれは精進をつづけねばならない。

 努力するかぎり、人間は迷うものだ。迷わなくなれば、もはやおしまいである。そして天魔は、その努力する人間にとっての迷いにほかならない。だから、逆説的な意味では、天魔の出現はむしろ歓迎すべきことではなかろうか。それは、われわれが努力をつづけていることの、一つの(あかし)にほかならないのである。


  41 如是我聞

 五百羅漢――。

 五百羅漢の(いわ)れは、第一回結集(けつじゆう)と呼ばれるあの聖典編纂会議にあるという。釈尊(釈迦牟尼仏)が涅槃に入られた直後、五百人の仏弟子たちが、マガダ国は王舎城郊外の七葉窟に集まり、会議を開いた。これは歴史的事実である。彼らは、釈迦牟尼仏の生前、それぞれ直接仏から教えを受けてきたのであった。自分の受けた教えがなんであったかを確認するために、あるいはそれぞれの記憶の曖昧さを正すために、五百人の仏弟子が一堂に会し、そして互いの体験を語りあったのである。それが第一回の結集であり、五百人の名を冠して「五百結集」とも呼ばれている。五百羅漢は、このとき参集した五百人の仏弟子であるという。

 周知のごとく、仏教経典は、
如是我聞(によぜがもん)――わたしは(釈迦牟尼仏から)このように聞いた」

 ではじまる。それは定められた経典のスタイルである。古来、そのように説明されてきた。しかし今、あらためて五百羅漢のことを考えたとき、わたしはこの「如是我聞」の四字にもう一つの意味のあることに気づいた。

 五百人の羅漢さんのうちには、実にさまざまなタイプの人間がいたに違いない。たとえば「注荼半託迦(ちゆうだはんたか)」と呼ばれる羅漢さん。この人は、十六羅漢の一人でもある。頭の悪いお弟子さんであって、釈尊から教わった一詩句すら暗誦できないでいた。そこで釈尊はこの人に、履き物を浄める仕事を与えられた。彼は「塵払い、塵払い」と唱えながら、一生懸命その仕事をやった。そして、みごとに彼は悟りを開いたのであった。

 注荼半託迦には、注荼半託迦の「如是我聞」があったはずだ。

 羅云比丘(らうんびく)――釈尊の実子のラーフラ比丘――には、羅云比丘の「如是我聞」があった。

 賓頭盧(びんずる)比丘――衆人環視の中で神通力を使って、釈尊に叱られた比丘。日本で「おびんずる」「撫仏(なでぼとけ)」として親しまれている羅漢さん――には、賓頭盧比丘としての「如是我聞」があったはずだし、なければならぬ。

 五百人の羅漢さんには、それぞれの五百の「如是我聞」がなければならぬ。

 そして、まさにそのようにして五百の「如是我聞」があったからこそ、われわれは釈迦牟尼仏入滅後二千五百年の現代にあって、しかもインドと遠く隔たった日本の地において、なおかつ仏教を学べるのではなかろうか。なぜなら、たった一つの教え、たった一つの「如是我聞」しかなかったとすれば、時代が変わり、場所が違ったとき、その教えは滅びてしまったに違いないからである。その意味において、羅漢さんは、現代のわたしたちに仏教を伝えてくれた偉大なる恩人なのである。
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