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仏教に学ぶ八十八の智恵
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生き方・教養
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第六章 智慧 ありのままに眺める

『仏教に学ぶ八十八の智恵』
[著]ひろさちや [発行]PHP研究所


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   智(ちえ)

    智はまた“般若(はんにや)”ともいう。古代インドのことばの“パンニャー”を写したものである。『般若心経(はんにやしんぎよう)』というのは、この智について述べた経典である。わたしたちの日常的な知恵は、「猿知恵」だとか「悪知恵」などと呼ばれるような低次元の知恵である。しかし、ここでいう智は、もっと高次元のものである。存在の本質・全体を把握する智――とでも言っておこうか……。


  62 仏となるために

 仏教――というのは、文字どおり「仏の教え」である。仏がわたしたち衆生(しゆじよう)のために説かれた教え――それが「仏教」である。と同時に、仏教にはもう一つの意味がある。それは、「仏になるための教え」である。わたしたち凡夫が修行をし、悟りを開いて仏になる。いったいどのようにすれば仏になれるのか……。その方法を教えてくれるのが「仏教」である。

 その点では仏教とキリスト教は根本的に違っている。仏教は、「仏の教え」であると同時に「仏になるための教え」であるが、キリスト教は「キリストの教え」であっても、絶対に「キリストになるための教え」ではない。人間がキリストになれるなどと考えることさえ、キリスト教ではひどい冒涜(ぼうとく)である。なぜなら、キリストは神の子であり、神そのものであり、そして神と人間とはまったく断絶しているからである。

 しかし、仏教では違う。仏教では、仏と人間は連続しているのである。修行によって、人間は仏になることができる。

 というより、そもそも“仏”といったことばそのものが、人間との連続性を示している。“仏”とは、サンスクリット語の“ブッダ(Buddha)”を音写して“仏陀(ぶつだ)”とした、その“仏陀”の省略形なのである。そしてその意味は、「(真理に)目覚めた者」すなわち「覚者」である。

 そして、歴史的には釈尊が最初の「仏」であるわけだ。釈迦(しやか)国の王子として生まれながら、王宮の栄耀栄華(えいようえいが)の生活をさらりと捨てて出家され、そして修行の末に悟りを開かれた釈尊が、この世において人間から仏になられた最初の人である。釈尊三十五歳のときのブッダガヤーの菩提樹(ぼだいじゆ)の下における悟りは、わたしたち仏教徒にとって記念すべき大きなできごとである。伝説によると、釈尊が仏になられたのは十二月八日であったとされる。それでこの日を「成道会(じようどうえ)」と呼んで、仏教徒はお祝いをするのである。

 しかしながら、歴史的なできごとを一歩離れて、仏の意味を少し思想的・哲学的に考えてみたい。つまり、われわれはもう一度、いったい「仏」とはどういう存在なのかを問い直してみたいのである。

 さて、そこで、いわば結論から逆に考えてみよう。極端な形で結論を先に述べれば、仏とは「真理」であると言えそうである。なぜなら、釈尊――仏の第一号である釈尊――は、「真理」を悟ることによって仏となられたのであり、また釈尊と同じ「真理」を悟れば、だれもが仏となれることが保証されているからである。

 そうすると、必ずしも釈尊だけが仏だということではなくなるのだ。なぜなら、真理は普遍的であるから、永遠の過去から永遠の未来にわたって、真理は真理としてありつづける。したがって、釈尊以外にも、その真理を発見して仏になった方が大ぜいおられる可能性があるわけだ。

 変な言い方を許していただけるなら、「真理」は釈尊の専売特許ではない――のである。

 いや、実をいえば、この言い方は非常に面白いと思う。というのは、キリスト教やイスラム教においても、開祖のイエス・キリストやマホメットが「真理」を説いたが、その真理は専売特許的な「真理」のようである。イエスやマホメットでなければ説けないような「真理」、すなわち個性的な「真理」であった。ところが、それに反して仏教では、普遍的な「真理」が説かれている。それが普遍的な「真理」であるからこそ、わたしたちはその「真理」を悟ることによって仏となれるのである。キリスト教やイスラム教で説かれる「真理」は、専売特許であるから、だれも神にはなれないのだ。そう考えることができるだろう……。


  63「空」の教え
『般若心経』は、わずか三百字足らずの短いお経である。読もうと思えば、ものの二〜三分もかからずに読むことができる。けれども、そこには、大乗仏教の教えのエッセンスが凝縮されているのだ。

 口の悪い友人が言っていた。『般若心経』は鳩みたいなお経だ、と。つまり、「くう、くう、くう、くう」と、鳩の鳴き声が盛んに繰り返されている、というのだ。言われてみるとそのとおりであって、『般若心経』の教えは「空」の一語に尽きそうである。

 では、いったい「空」とはなにか? というと、これがなかなかわからないのである。仏教のことばでいえば、「無自性(むじしよう)」であるとか、いろいろに説明されている。そう言われてももう一つはっきりしない。それでわたしは、こんな例を出してみた。いささか下品な話になって申しわけないのだが、実は上品だとか下品だとかにこだわっていること自体が「空」の教えにそむくことになるかもしれないとお考えいただいて、ご勘弁願いたいと思う。

 ここに高価なガラスのコップがあるとする。かりにこのコップに、あなたのオシッコを入れる。トイレにコップを持っていって、そこにオシッコをしてくる。そのあとで、コップをきれいに洗う。なんなら煮沸消毒をしてもよい。そして、その洗ったコップにビールをついで、さあそのビールを飲んでほしいのである。

 いかがですか……。おできになりますか? あまり無理をしていただかなくて結構。それでビールが飲める――と言われる方は、よほどのつむじ(ヽヽヽ)曲がりの方で、たいていの方はそんなことはできません、と答えられるに違いない。そのほうが、あたりまえなのである。でも、なぜできないのだろうか?

 コップが汚いからだ、と言われる方がおられるかもしれない、それは違っている。きれいに洗ってあるのだから。だから、別の人であれば、それにオシッコがはいっていたことを知らない人であれば、それで平気でビールが飲める。コップそのものは、ちっとも汚くなんかないのだ。問題は、わたしたちの心のほうにある。

 コップそのものはきれいであるのに、いや、そうではなくて、コップそのものはきれい・汚いを超越している存在なのだ。それが「空」である。コップそのものは「空」で、きれい・汚いを超越している。それをきれい・汚いとこだわっているのは、わたしたちの心なのだ。心が自分勝手にきれい・汚いという観念をこしらえあげているのである。

 これが「空」ということばの意味である。きれい・汚いだけではない。善悪だとか、長い短い、美しい醜い、有益有害といった、そんな相対を超越したのが「空」であり、いっさいの存在が「空」である。それを『般若心経』は、「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色」と表現している。「色」というのは「もの」のこと。ありとあらゆる存在が「空」であり、その「空」がそのまま存在だというわけである。

 もちろん、「空」というのはカラッポではない。そうではなくて、たとえばここに子どもがいるとすれば、その子どもは「わが子」「ひとの子」といった差別(しやべつ)――仏教では「差別」と書いて「しゃべつ」と読む――を超越した存在だというわけである。そのことを「空」という。子どもは子どもである。できる子、できない子、いい子、わるい子、ふつうの子、正直な子、いじわるな子、そんな差別は、わたしたち凡夫の心が迷いのあげくにつけたものにすぎない。子どもはそんな窮屈な枠を超越している。そのことを「空」というのだ。

 わたしたち凡夫は、自分にかかわりあいのある対象に自分勝手なレッテルを貼って生きている。親は子どもに、これは「わが子」というレッテルを貼る。先生は子どもに、「できる子」「できない子」というレッテルを貼り、会社では「いい社員」「わるい社員」といったレッテルを貼る。そうして、自分の貼ったレッテルにこだわっているのである。それで、どうしても窮屈になる。そんな窮屈な生き方しかできないのだ。あるいは、自分でつくった影におびえて生きているのである。
『般若心経』がわたしたちに教えてくれているのは、そんな窮屈な枠をきれいさっぱりと取っ払ってしまいなさい、ということだ。「窮屈な枠」――を、『般若心経』は“(けいげ)”ということばで表現している。そうした“礙”をなくし、こころが“無礙”になれば、わたしたちはもっと自由でおおらかな生き方ができるというのである。つまり、わたしたちはものごとに執着している。自分で勝手につくりあげた概念に執着して、どうにもならなくなっているのだ。そんな執着を去って、自由で、おおらかで、のびのびとした生き方をしたいものである。それが『般若心経』の教えるところであり、「空」の哲学なのだ。


  64 いろ(ヽヽ)かたち(ヽヽヽ)

 仏教のことばで、いちばん有名なものを一つ挙げろと言われたら、おそらくだれもが、
色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)

 という『般若心経』の一節を挙げるであろう。『般若心経』はポピュラーな経典であり、中でもこの句は、あまりにも有名である。だれでも一度ぐらいは聞かれたことがあるだろう。

 ところが、じつをいえば、この句の意味をまちがって理解している人が多いのである。
「色の道は(むな)しい」

 そんなふうに思っている人がいる。なるほど、「(いろ)」といえば、「英雄、色を好む」とか、「色男」「色女」「色情」といったふうに、男女の間のことをいったことばである。それが「空」だというのだから、「色の道は空しい」といった意味になる。

 だが、それはちがうのだ。仏教語で「(しき)」といった場合、単に「いろ」「カラー」の意味ではなく、もっと広い意味に使われている。多くの場合、「色」は「物質」と訳したほうがよい。あるいは、ときには「いろ(ヽヽ)かたち(ヽヽヽ)」と訳したほうがよい場合もあり、さらには「いろ(ヽヽ)かたち(ヽヽヽ)のあるもの」「存在」となることもある。精神と肉体――といった対比で考えれば、精神はいろ(ヽヽ)かたち(ヽヽヽ)をもたないから、肉体のほうが「色」になる。したがって、その場合には、「色」は「肉体」の意味になる。

 とすれば、「色即是空。空即是色」を、単にいろ(ヽヽ)にだけかぎって考えてはいないわけだ。いろ(ヽヽ)も「空」であろうが、同時にかたち(ヽヽヽ)だって「空」である。おしっこを入れたガラスのコップだって「空」だし、そうでないコップも「空」である。すべて存在するものは畢竟(ひつきよう)して「空」であり、人間の心がそれぞれつくりあげたものが「色」である。それを教えたのが、
「色即是空。空即是色」

 であり、そしてそれがとりもなおさず『般若心経』の中心となる教えなのだ。


  65 なぜお経を読むのか

 お経とはなにか? その質問に一言でもって答えるとすれば、
「お経とは、釈迦牟尼仏(しやかむにぶつ)のことばである」

 ということになるであろう。もっとも、この解答は、これだけではいささか不正確だ。釈迦牟尼仏といえば、今から二千六百年の昔、インドに活躍された釈尊その人にほかならない。そして、たしかに「釈尊」と呼ばれる人物が実在したことにまちがいはないのだが、その釈尊のことば(ヽヽヽヽヽヽ)が正確に後世に伝えられたか、となると、少しあやふやなところがある。

 さらには、「大乗経典」については、もっとややこしい問題がある。というのは、大乗経典は釈尊の入滅後四百年、五百年ものちになってつくられたというのが、現在のところ定説だからである。したがって、常識的な意味では、大乗経典は釈迦牟尼仏のことばを書き留めたものではない。とすると、お経は釈迦牟尼仏のことばであるという定義に従えば、大乗経典は「お経」でないことになってしまう。

 そのような問題を、今ここで論じはじめるときりがなくなってしまう。今はごく簡単に、昔の人々がそう信じていたように、お経というものは釈迦牟尼仏のことばを記したものだとしておく。それで、それほどまちがいはないのである。

 では、次に、われわれはなんのためにお経を読むのであろうか……? お経を読む(ヽヽ)――といっても、いろいろな場合がある。まず最初に、法事などにおいてお坊さんにお経をあげてもらう場合を考えてみよう。

 それは、一つの儀礼である。簡単にいえば、そういうことになるであろう。しかし、そのような儀礼の裏には、ある一つの意味が含まれていそうだ。それはつまり、あの世に往った死者(ほとけ)に、釈迦牟尼仏の教えを説いて聞かせることである。

 死者は生前、この世の俗事に忙殺されて、仏道の修行ができなかった。だが、今はあの世にあって、仏道修行に専心している。そこで死者のために、仏の教えがなんであるかを説き聞かせてあげるのだ。おそらくそれが、お坊さんによってお経をあげてもらうことの基本的な意味だと思う。そこで参列者は、同じく釈迦牟尼仏の教えを聴聞するのである。この場合は、主役は死者だから、参列者は傍聴者ということになるが……。お坊さんは、釈尊になり代わってお経を読まれるわけだ。したがって、「代読」といったことばが、案外ぴったりするようだ。卒業式などで、市長の祝辞を代読するのに似ている。市長はあちこちの学校に顔を出せないので、代読してもらう必要があるわけだ。

 けれども、それだけがお経を読む(ヽヽ)ことのすべてではない。それよりももっと大事な、お経を読む(ヽヽ)必要性がある。それは、自分のために読むことである。死者のために読誦(どくじゆ)されたお経の傍聴ではなく、自分が主体になって積極的にお経を読むのである。
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