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新田次郎【にった・じろう】

『遅咲き偉人伝』
[著]久恒啓一 [発行]PHP研究所


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春風や次郎の夢のまだつづく

五十四歳から筆一本の道へ

 新田次郎(一九一二年〜一九八〇年)はペンネームである。

 諏訪郡(現・諏訪市)上諏訪町角間新田で生まれたことと、次男坊であったことを合わせて、新田(シンデン)をニッタと読ませて、新田次郎になった。ペンネームのつけ方の一つの典型である。自身の家の屋号を用いた堺屋太一、出身地の名前をつけた石ノ森章太郎など、こういうペンネームのつけ方は多い。新田次郎の本名は藤原寛人である。

 十八歳で無線電信講習所(現・電通大)に入り、卒業後二十歳で叔父の藤原咲平の紹介で中央気象台(現気象庁)に入台する。そして直後の一九三二年(昭和七年)から一九三七年(昭和十二年)まで富士山観測所で仕事をする。三十一歳、旧満州国中央気象台課長となるが終戦でソ連軍の捕虜となる。妻ていは、三人の子供を連れ、辛酸をなめて帰国。新田はソ連軍から解放された後、三十四歳で気象台に復職する。三十九歳のときに妻が『流れる星は生きている』という本を書き、ベストセラーになる。

 この刺激が作家・新田次郎を誕生させることになった。『強力伝』を書き、懸賞小説に当選する。これが四十三歳で出版され、翌年いきなり直木賞を受賞する。その後、『蒼氷』など山岳小説、推理小説を書いていく。本業では五十一歳で測器課長に昇進し、富士山気象レーダー建設という歴史的大事業を成功させる。

 五十四歳で気象台を退職し、筆一本の生活に入り、『八甲田山死の彷徨』『武田信玄』など多くの名作を生む。
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