速いほうが得でも、ただ急げばいいというものではない
ようやく折り返し地点まで来たのぉ。このたびのレクチャー全十三章の真ん中、第七章じゃ。
タイトルは、「軍争」となっておる。すぐには、ちょっと意味の量りかねる言葉かの。
言うまでもなく、戦争とは、軍隊どうしがぶつかり合い、戦い争うもの。では、何故戦うのか。これまた言うまでもない。勝つためじゃ。
では、なぜ勝ちを求める? もちろん決まっておる。ズバリ、勝った者は“利益”を得られるからじゃ。誰もが、自らの利益を求めて、戦争に参加するのじゃ。
すなわち「軍争」とは、
「軍が、そして兵士一人ひとりが“利益のために戦っている”のだ」
という、当たり前すぎるくらい当たり前の真実を表した言葉じゃ。ここでは、その真実を再確認する。そして、その真実から派生する諸々の現象・出来事について、考えてみる。
それによって、何が見えてくるか。じつに重要なことが、解ってくるぞ。
いよいよ戦争が始まる。開戦が決まった。
──と、国中に、こうしたお触れが出た時、国民は何を思うか。
「この戦争の勝利の果てに大きな利益がある。勝てばきっと、今より暮らしが良くなる」
と、国民はそう思う。あるいは、そう願う。なればこそ、気持ちを高ぶらせ、おのれの闘志に火を点ける。
逆に言うとな。国民にそう思ってもらえない開戦だったら、その戦争は“初めから過ち”なのよ。
開戦もせぬうちに国民に真っ向から反対される戦争などは、国のリーダーのわがままに過ぎぬ。そんな戦争、国民が本気になってくれるわけもなく、大方はボロ負けする。
戦争には、大きなリスクが伴う。国民の日常生活・財産、そして命までも、犠牲とせねばならぬ。それでいながら、その戦争が国民に“苦労や犠牲に見合うだけの利益”を保証できぬものだったとしたら、誰が協力などするものか! 開戦の決定とは、国民にそれ相当のメリットを約束する責任が、伴うのじゃ。まずは、それを忘れてはいかん。
さて、とにもかくにも開戦が決まったら、軍を率いる将は、命令を国の君主より正式に受ける。それからいよいよ、軍を召集し、国民を徴兵して、編成を整える。こうして、敵が待つ戦場へ向かって「さぁ、出発!」ということになる。
さぁ、ここで、たいていの者が見落とす真実が、ある。
この戦場に向かって進む進軍が「すでに戦いなのだ」ということよ。戦場へと歩む一歩一歩が、もうそれだけで戦いなのじゃ。
つまり、じゃな。自軍も、また敵軍も、兵士一人ひとりの一歩一歩が“利益を求めた争い”となっておる。そして、ここで前の章のレクチャーを思い出すが、よい。戦争は常に先手必勝。先に戦場に着いたほうにこそ、勝利の高い確率が与えられる。
だから、少しでも敵より速く進もう。戦場へ少しでも早く到着しよう。そういった“競争の状態”に、すでに入っておる。言い方を換えると、戦場へ向かう進軍とは、まさしく「速い者ほど利益を得られる争い」なのじゃ。
となれば、進むコースは遠回り・回り道を避けて、少しでも近道を選ぶべきじゃ。無駄な時間を浪費せぬよう、進軍のタイム・スケジュールに細心の注意を払うべきじゃ。
こうした配慮に思いの届かぬボンクラの将は、いかに強い軍を率いたとて、その実力を生かせぬまま負けるであろう。「猫に小判」とは、このことよ。
戦場への進軍が、すでに戦いに突入している以上、この時点で敵の動きを探知せねばならぬ。戦いには絶対に「敵とおのれの比較」が必要だとは、ここまで口をスッパくして、わしが教えてきたことじゃろう。
したがって、敵の進み具合というものを、進軍中ずっとチェックする気配りが、必要じゃ。