もう十年ほども昔ですが、ふとこんなことを考えたことがあります。
――世間の有象無象どもが勝手に定義した「成功」の二文字に踊らされて、あくせくと生きることほど馬鹿げた生き方はない――
どうもまじめな人間は世間を気にしすぎます。
世間を気にするということは、世間からの「期待」に応えようとすることです。
わたしたちは幼少のころから、「いい子」になりなさい、「立派な人間」になりなさいと教え込まれてきました。でも、どういう子が「いい子」なのか、誰も正確には教えてくれません。
あるときは、無口でおとなしい子が「いい子」であったり、反対に積極的に自分の意見を言える子が「いい子」であったりします。時と場合によって「いい子」のイメージが変わる。だから、「いい子」であるためには、時と場合に応じて自分を変えねばなりません。それができるカメレオンのような人間が「いい子」なんです。
だから、「いい子」になるのはしんどいことです。