“感情のコントロール”はもういらない
◆怒りを感じたときは、新しい自分を知る“チャンス”
オーバーヒートする感情
「私は、感じたことをすぐ言葉にして相手にぶつけてしまいます。一〇感じたら一〇言わないと気がすまないんです。
友だちは六くらいにして、あとは我慢したほうがいいよ、と忠告してくれますが、どうしてもそれができないのです。何かいい方法があるでしょうか?」
彼女は、感じたことをすぐ言葉にしてしまうと言っていますが、おそらく感じたことすべてを言おうとするのではなく、“怒り”の部分を我慢できないのだと思います。
「そうなんです。カッとするとパパッと言い返さずにいられないんです。とくに頭にくるのは偽善者っぽい人。言葉ではキレイなことを言いながら、その裏に敵意を隠した人がいるじゃありませんか。そういう気持ちが伝わってくると、私の感情はオーバーヒートします」
オーバーヒートすると、とかく余計なことを口走り、今度はそんな自分に対して怒りが湧いてきたりして、ますます収拾がつかなくなります。
喜怒哀楽の感情表現。中でも“怒”を表すのがいちばん難しいと思います。
私自身、“怒り”の表現はまだまだ未熟です。だからといって、“怒り”とのおつきあいを減らしてマルくなりたいとは思いません。一生、ウニみたいにギザギザアンテナをとんがらせていたい。
なぜなら“怒り”は私にとって「クイズ」のような働きをしてくれるからです。
自分の内側に感じた怒りでシッカリ記憶しているのは中学生になりたての頃のものです。「うれしい」「面白い」「つまらない」などの感情のひとつひとつが、小学生のときより複雑なのです。一口では表現できなくなっていました。新しい感情がムクムクと芽ばえていくのに、それを言い表す言葉を知らない。さらにそうした感情は断片的で変わりやすく曖昧でもあったので、自分自身でも掴まえにくいのです。
私はイライラと不快でした。親に当たりました。父にも母にもツンツンした態度で接していたのです。説明はしないで、「イヤよ」「ちがうわ」「そうじゃないの」の連発でした。説明したって私の気持ちはわかりっこないや、と決めこんでいましたっけ。
ほんとうは説明なんてできなかったのです。自分でも自分が不可解でお手上げ状態でした。どうしよう! と苦しかったのです。反抗期プラス怒りのクイズのスタートでした。
中学では、私は演劇部に入っていました。放課後のクラブ活動や文化祭が楽しくて、演劇部関係のことに携わっている間はワクワクイキイキニコニコ。担任の先生に母が注意されるまで熱中しました。
芝居の脚本に書いてある、ドラマティックなシーン、飛躍した言い回し、非日常的な会話などにうっとりして、教科書はそっちのけだったのです。
少女時代から娘時代への自分の変化にびっくりしながら「イヤよ」という言い方でしか表せなかった感情が、芝居の脚本ではちゃんと説明されているではありませんか。私はうれしかった。「ああ、これよ、これよ」と思いました。