記憶はウソをつく
記憶はどこまで信用できる?
私たちは、記憶をたしかなものだと考えています。自分が鮮明に覚えていることが「ウソ」だと思う人はいないでしょう。我々はリアルな現実をそのまま記憶に焼き付けている。誰もがそう信じています。
しかし、記憶というのは、実際は大変に危ういものです。あなたの記憶の大半は、後から「上書き」されたものなのです。
記憶の危うさを明らかにした、有名な事件をいくつか紹介していきましょう。ひとつ目は、一九九〇年に、ジョージ・フランクリンというカリフォルニアの引退した消防士が巻き込まれた事件です。
彼は、一九六九年に起きたスーザン・ネイソンという八歳の少女の殺人事件の犯人として告発されました。告発したのは、ジョージ・フランクリンの実の娘のアイリーンでした。「父親は二十年前に殺人を犯した。わたしはそれを目撃したけれど恐怖のあまりに忘れていて、封印していた記憶を二十年後に思い出した」と、突然、言い始めたのです。
ジョージ・フランクリンは六年間刑務所に入り、一九九六年に釈放されました。娘のアイリーンの証言は、当初関係者や警察しか知りえない事実が含まれているとして「事実」と認定されたからです。ところが、その後に様々な学者が調査したところ、アイリーンが語っていた状況は、全て新聞などの報道でわかることでした。
いわゆる犯人しか知りえない状況、目撃者しか知りえない情報はなかったのです。決め手になったのはある新聞の誤報でした。アイリーンの証言にはその誤報が含まれていたのです。
いったいなぜ、実の娘が父親に濡れ衣を着せるような行為に及んだのでしょうか? 実は、ここに「ウソの記憶」が関係しているのです。
アイリーンは催眠療法を受けていました。いわゆる「退行催眠」というもので、子供の頃に戻って何が起きたかをセラピストに話すという心理療法です。
アイリーンの記憶は思い出したものではなくて、セラピストの誘導(意図的ではなかったそうですが)により、植えつけられてしまったものだったのです。セラピストは悪意を持っていたわけではありませんが、結果的にアイリーンにウソの記憶を植えつけてしまい、殺人事件を目撃したと思い込ませてしまったのです。
この事件の裁判は、物証がまったくなく、証言のみで構成されていましたが、ジョージ・フランクリンは、娘のウソの記憶のせいで、六年間も刑務所に入れられたのですから相当につらかったことでしょう。
トラウマは記憶を封印する?
一九八〇年代の米国では、「ある日突然、幼い頃、お父さんに性的な嫌がらせを受けた・レイプされた!」という事件が頻発しました。その結果、刑務所に送られた人も大勢います。当時は、「トラウマの記憶、衝撃的な記憶を人間は封印してしまう」という根拠のない仮説を、多くの人が信じていたからです。ドラマや映画などでもよく見かける設定ですが、実は専門家の一致した意見として、そういう事実は存在しません。
トラウマは、封印するどころか、繰り返し思い出すものです。嫌なことだから反芻して記憶に定着する。記憶喪失などを除いて、トラウマを忘れるということはありえませんし、封印されるということを実証した人はいないんです。
現在では、認知心理学の分野で非常に著名なエリザベス・ロフタスという教授が、こういった冤罪事件の証人になり、トラウマの封印を否定したうえで「ウソの記憶」が刷り込まれることがあると述べています。