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プレッシャーに強くなる技術
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第3章 実践! 日本古来のプレッシャー克服法

『プレッシャーに強くなる技術』
[著]齋藤孝 [発行]PHP研究所


読了目安時間:33分
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かつて日本に存在した「胆力」を鍛える文化



 前出の『氷川清話』(講談社学術文庫)の中で、勝海舟は「坐禅と剣術とがおれの土台となつて、後年大層ためになつた。(略)この勇気と胆力とは、畢竟(ひつきよう)この二つに養はれたのだ」と述べている。

 この言葉から私たちが学ぶべき点は二つある。

 一つは、「胆力」とはけっして先天的に備わっているものではないということ。たしかに、「胆力のある赤ちゃん」にお目にかかったことはない。今風にいえばDNAの影響も少なからずあるのかもしれないが、基本的には成長とともに鍛えていくものなのである。

 そしてもう一つは、胆力が身体感覚と連動しているということ。剣術は、常に「斬られる」というプレッシャーと表裏一体の関係にある。その中で冷静かつ果敢に動く訓練を積むことで、例えば難しい交渉の場でも動じない精神を養えるのである。ディベート術や政治学を学んだわけではなく、あくまでも身体の修行を通じて幕府の重職を担った点がミソだ。

 また坐禅を組んで身体を静止させることで、心を静かに整えることができる。どんな場であれ、怒りや不安、気負いを抱えたままでは実力を発揮できない。坐禅によってこれらの感情を抑えることができれば、たしかに胆もすわるだろう。そして心を整えたところで、また剣を振る。この繰り返しが、いわば相乗効果を生み出したわけだ。


 繰り返しになるが、胆力と似て非なるものが、「心の力」だ。心は毎日ゆらぐものだ。その力を強く安定させようと思っても無理がある。身体を意識することによって自然に心を鎮めるのが胆力なのである。言い換えれば、胆力はあくまでも身体感覚をベースとした「目に見える力」なのである。その意味で鍛えようもあるし、鍛えがいもある。

 ただしこれは、「腹筋を鍛えよ」と説いているわけではない。追って説明するが、胆力には独特の鍛え方が存在するのである。

日本人の意識の中心は「肚」にあり



 実は、こうして身体感覚から胆力を鍛えるというプロセスは、勝海舟オリジナルのアイデアではない。むしろ、日本古来の伝統だった。

 昭和初期に来日したドイツの哲学者デュルクハイムは、日本人の精神の落ち着きに驚き、『肚─人間の重心』(麗沢大学出版会)という本を著したと先に述べた。ドイツ語の原著も“HARA”だ。

 それによれば、日本人は「(はら)」にこそ生命の根源があると考え、その存在を常に意識し、日常生活の中で日々鍛えていると説く。肚こそが日本人と日本文化の中心である、というわけだ。

 ここでいう「肚」とは、臍より指三本分ぐらい下の、いわゆる「臍下丹田」と呼ばれる部分を指す。胆力の源もここにあると考えてよい。

 対照的に描かれているのは、軍隊式に胸を張って腹を引く、いわゆる「気をつけ」の姿勢だ。これは、肚を中心に立つ姿とはまったく違う。重心が腹から胸に移動し、緊張を強いる不自然な立ち方だ。

 昭和一三年(一九三八年)時点において、デュルクハイムに対して「こういう姿勢が国民に対する指導原則になると、その国家は危機にある」と指摘した日本人がいたという。たいした慧眼(けいがん)というべきだろう。

 たしかに、相撲にせよ歌舞伎や能にせよ、日本文化は身体のあり方と密接な関係にある。肚を中心として揺るがない下半身をつくり、その上に柔軟な上半身を乗せるというイメージだ。

 このバランスを整えることが、一流の証なのである。私は、こういう肚を中心とした独特の文化を腰肚(こしはら)文化」と称している。

 かの『論語』の中に、「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は(おそ)れず」(子罕第九)という有名な言葉がある。人間として「智・仁・勇」の三つの徳を併せ持てという教えだ。このうち「智」は知性、「仁」は人を気遣う優しい心だとすれば、「勇」とは肚であると私は解釈している。それほど人間にとって重要な徳なのである。

 ところが、私たちはいつしか「肚」の感覚を失った。

 かつては帯で臍下丹田を締めていたが、今や祭りか温泉で浴衣を着るときぐらいしか締めないことも一因だろう。つまり、身体の中心軸が空洞化しているわけだ。だから必要以上に周囲を恐れ、なかなか自分に自信を持てず、傷つきやすく、しばしば「元気がない」「メンタルが弱い」などと称される。

 だが逆にいえば、とにかく「肚」の感覚を取り戻せばいいということでもある。特に若い人の場合、知性はやや覚束ないが、仁の心はかなりある。そこで勇さえ鍛えれば、相応に立派な人間になることは間違いない。

「胸」ならぬ「肚」に手を当てて考える



 もともと日本人は、「腹」に多大な意識を抱いてきた。「腹が立つ」「腹に一物」「腹がすわっている」「太っ腹」など、感情表現にしばしば腹が登場することからも、それはわかるだろう。

 中でも今の時代に着目すべきなのが、「腹に収める」という言い方だ。何か嫌なことがあっても、すぐに反応して悲嘆に暮れたり反撃したりするのではなく、いったんは心の中に押し止めようというわけだ。

 しかし、収めるべき「腹」がなければ、ただちに「頭に来る」だけである。それがかえって事態を悪化させることは、誰でも少なからず経験していることだろう。だからこそ「腹」を意識することが重要なのである。

 誤解のないように述べておくが、これは「譲歩しろ」「我慢しろ」という意味ではない。その場で事を荒立てるのではなく、次の最善手を熟慮する時間と余裕を確保すること、いわば戦略的な思考ができるか否かという話である。どこから何が飛んでくるかわからない、魑魅魍魎(ちみもうりよう)跋扈(ばつこ)する世の中だからこそ、こういう力が以前より価値を持つのではないだろうか。

 そこで、あらためて「腹(肚)」に着目してみよう。初級編として、まずは簡単なイメージトレーニングから始めていただきたい。今ではすっかり(すた)れてしまったが、かつての親は騒ぐ子どもに対し、「ハラ、ハラ」と声をかけて(さと)すことがあった。
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