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歴史探偵 近代史をゆく
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歴史
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第三章 戦時期の作家たち

『歴史探偵 近代史をゆく』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


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『荷風さんと「昭和」を歩く』余話


 この項は大いに宣伝するつもりで、照れずに書きはじめる。わたくしは1995年に『荷風さんと「昭和」を歩く』という本をプレジデント社から上梓した。その五分の二ほどは月刊誌『プレジデント』に連載したものであるが(それも縮めて)、ほとんどが書き下ろしである。(現在はちくま文庫になっている)

 永井荷風の残した膨大な日記『断腸亭日乗』は、一面からみると、荷風さんの女性関係日記であり売色観察日記である。そこに描かれているさまざまな女性たちと交渉をもつ荷風像や日常には、どうしても華やかながら奇矯なものが感じられてしまう。しかしそれ以上に、『日乗』は荷風の文明批評の書であり、昭和史論であり、慷慨(こうがい)の書なのである。

 終戦後に、自分はいかに戦争に反対したか、いかに挙国一致体制に非協力であったか、といったことを力説した不愉快な文章をいくつも読まされたけれど、それらにくらべて『断腸亭日乗』の一行一行には、不動の矜持(きようじ)が感じられてもう敬服するほかはない。一億総軍国主義者のときに、これほど冷静で正気な文章を残すことのできた人がいたことに、日本人も捨てたものじゃないなと、わたくしは救われる思いがしている。

 以下は、拙著からこぼれ落ちた、というわけでなく、残念に思いつつもページ数の関係ではずしたもの。「余話」として読んでもらえれば幸いである。

ヤーットナー、ソレ


 わたくしの生まれた向島が、東京府南飾郡から東京市に編入され向島区となったのは、昭和七年十月一日の市区改正のときであるそうな。このとき、十五区が三十五区にいっぺんに拡大して「市民五百万」「世界第二位の大都市」といわれるようになった。もちろん数え年三つのわたくしには知るはずのない話。
《いつもの如く食事せんとて銀座に往くに花電車今しがた通過したる後なる由。人出おびただし。商店の軒には大東京カアニバルなどという大文字を掲げたり》

 と、生まれからずっと東京市民の荷風さんは、この日の盛事にごくごくそっけない。

 そして翌八年夏、大都市誕生を祝するかのように突如として起こったのが『東京音頭』の大狂騒曲であったという。その人気は昭和十年に及んでもやまなかったらしい。なんて書くと、プロ野球のスワローズ応援団の一員を自負する身としては、それこそお前のほうがそっけないぞ、と叱られそうであるが、例の「踊りおどるなーら」であり、「ヤーットナー、ソレ、ヨイヨイヨイ」である。

 そのそもそもは、日比谷公園にある松本楼の主人が朝風呂のなかで、この花の東京でも田舎の夏につきものの盆踊りができないものか、と考え、西条八十(やそ)に作詞を依頼したことに発するという。これが「丸の内音頭」で、日比谷公園の夏の風物詩のごとくにとりあえずささやかに踊られだした。これに目をつけたのがレコード会社のビクター、さっそく「東京音頭」にかえて……といった事情は、流行歌の歴史を扱った本には大てい書かれている。

 問題は、なぜそれがこの時期に大流行したのか、である。安岡章太郎氏もそのころを「スリ切れかかったレコードが『ヤーットナー、ソレ、ヨイヨイヨイ』と、黄色い声をうるさくガナリ立てるのがきこえてくると、私はいいようのないイラ立たしさに捉われた。──この非常時に、何がヤーットナー、ソレなんだ」と回想している。まったくおっしゃるとおりで、昭和八年といえば、外には満洲国建国をめぐって国際連盟から脱退して日本は世界の孤児となり、内には京大の滝川事件があって学問の自由と大学の自治にたいする不当な干渉と弾圧の幕をあけたとき。その上に、関東地方防空大演習で関東平野が真っ暗になり、その後もしょっ中灯火管制あり防空演習あり。安岡氏のいう「非常時」で、ヨイヨイヨイなんて浮かれているときではなかった。

 それなのに「眼鏡あり、髪あり、お下げあり、断髪あり、三側四側になり、単純に手足を動かして、歌につれてぐるぐる廻り行く」(『森銑三日記』)熱狂が、日本全国津々浦々にひろがったのは、探偵が推理するに、案外に当時の日本人が先行きに不安を感じだしたからかもしれない。「日本はこれから栄光ある孤立を守っていくのだ」と壇上からいくら獅子吼(ししく)されても、肌で感じられる一抹の淋しさや幻滅感を何かで適当にゴマ化さないわけにはいかなかった。

 それをまたときの為政者も微妙に感じとっていた。日本をとりまく国際情勢の悪化への不安、それにともなう社会的緊張、これらを解消するためには、お祭りがいちばんなのである。それはいつの世だって変わらない。そういえば、倒幕の志士たちが計画的に扇動したといわれる幕末の「ええじゃないか」狂騒曲がある、あのテがあるじゃないか。そっくりいまに適用するにかぎる。ときの知恵者がそう考えたにちがいない。この巧妙な仕かけによる集団的乱舞の、しばしの現実逃避が、ヤーットナー、ソレ、ヨイヨイヨイであった。国家というものは、いつでもどこでも、祝祭によって人心をまとめ挙国一致体制をつくっていく。

 そしてなんとも通俗で、浮薄で、ナンセンスで、やたら威勢いいだけの歌(ヤクルト・ファンよ怒るなかれ)を、荷風が好ましく思うわけがないことは書く必要もない。『日乗』ではほとんど無視しきったこの狂騒乱舞を、『東綺譚』の「作者贅言(ぜいげん)」で、一流の洞察力を駆使して、荷風は見事に国家のヤラセとしてあばいている。
「東京市内の公園で若い男女の舞踊をなすことは、これまで一たびも許可せられた前例がない(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。……東京では江戸のむかし山の手の屋敷町に限って、田舎から出て来た奉公人が盆踊りをする事を許されていたが、町民一般は氏神の祭礼に狂奔するばかりで盆に踊る習慣はなかったのである」(ソク点は筆者)

 歴史的事実をもってかく証明するあたり、荷風を歴史探偵団の一員にして、ソレ、ヨイヨイヨイとやりたくなってくる。
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