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歴史探偵 近代史をゆく
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歴史
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第四章 口が過ぎた人びと

『歴史探偵 近代史をゆく』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


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近衛文麿・「国民政府を対手とせず」

悲劇の宰相?


 細川護熙(もりひろ)氏が1993年に華々しく首相になったとき、氏の顔が似ているせいもあって、近衛文麿のことがしきりに思いだされてきた。とくに細川首相の「侵略戦争」発言を聞いたりすると、昭和十三年一月十六日の、近衛首相の「爾後国民政府を対手とせず」声明をついつい思いだす。国のトップにある人は、およそ信念でもないことをたわむれに発言するべからず、である。

 近衛は戦後にその著『失はれし政治』(朝日新聞社。一九四六年)で、こう嘆じている。
「これは帝国政府は国民政府を相手とせずして、帝国と共に提携するに足る新興新政権の樹立発展を期待し、それを以て両国国交調整を行はんとの声明である。この声明は識者に指摘せられるまでもなく、非常な失敗であった。余自身深く失敗なりしことを認むるものである」

 また別のところで、
「余が大命を拝した頃は既に満州事変以来陸軍がやった諸々の策動が次第に実を結び、大陸では既に一触即発の状態にあったらしく、余も支那の問題が武力を用いる程に深刻化していたことも無論判らず、組閣後僅か一月を出でずして蘆溝橋事件が勃発し、支那事変へと発展した」

 と率直に語っている。もっとも悪いときにそれも知らず首相にかつぎあげられた。それでかれを「悲劇の宰相」とよぶ人もある。

 しかし、それはどんなものか。「悲劇」と冠するにはあまりにも近衛は強硬かつ無責任なのである。調べれば調べるほどにその感を深くする。秘書官であった亡き牛場友彦氏が「あの人は、日本で天皇陛下のつぎに自分が偉いと思っていた人なんだな。われわれが庶民の感性や理性で判断しても、当たらないところがあると思わなくては……」とよく語ってくれたが、そうであるならなおのこと、あの危機のときに、かしずかれることしか知らないお公卿(くげ)さんを首相に戴いたことが、日本国民にとってこの上ない悲劇であった、と思わないわけにはいかない。

 昭和十二年七月七日の蘆溝橋事件によって日中戦争がはじまったとき、近衛は、軍によって引きずり回された首相なんかではなかった。むしろ軍が顔負けする強硬論者であったのである。二十一日の三個師団動員案の閣議決定も、火元は近衛にあった。組閣早々で張りきっていた首相は、三個師団動員を積極的に支持し軍部に一歩を先んじて、これからの主導権を握ってやろうと考えた。それは書記官長風見章の献策によるものであった。

 膨大な組織をもち、戦闘となればその力学が働いてものすごい勢いをともなう軍部の力を、高い身分と地位だけでたいして実力のない近衛が、小手先の芸当だけであやつろうなどと考えるのは、身の程知らずであった。それを近衛はまったくわからなかった。

 しかも、調べていてびっくりするのは、この二十一日から近衛はやたらに戦争熱をあおりだすのである。
「今次事件は中国側の計画的武力抗日であることに疑いはない。よって政府は重大決意をなし、華北出兵に関し所要の措置を取ることに決定した」

 と軍の強硬派が喜びそうな声明を発しただけではなく、政界はもちろん、東西の財界、言論界の首脳を、毎日のように首相官邸に招いて、近衛みずからが協力を要請した。

 ところが、このように強硬になったかと思うと、しばらくして辞職を口にするほど弱気になる。
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