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歴史探偵 近代史をゆく
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第七章 事件、事件、また事件

『歴史探偵 近代史をゆく』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


読了目安時間:21分
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大津事件・殊勲の二人の運命

ロシア皇太子襲撃


 凡社刊『政治学辞典』は事件をごく簡略に説明している。
「湖南事件ともいう。一八九一年(明治二十四)五月十一日滋賀県大津で来遊中のロシア皇太子を巡査津田三蔵が傷害した事件。これにたいして政府は、対外的、対内的考慮から司法機構にたいしていろいろの干渉をこころみたが、大審院(院長児島惟謙(これかた))はこれを排除し、謀殺未遂として津田を無期徒刑に処した。司法権の独立を維持したものとして日本憲政史上特筆されている」

 これがまあ事件の骨子なんであるけれど、これだけじゃ味もそっけもない。歴史探偵としては少々張り扇的に一席弁ぜざるをえない。

 ロシア皇太子はのちのニコライ二世、日露戦争のときの皇帝で、革命によって廃帝になった悲劇の人。犯行の時刻は一時五十分、場所は大津町大字下小唐崎五番地、津田岩次郎宅前、いわゆる京町筋の繁華街である。といっても道幅はかなり狭かった。警衛にあたっていた巡査津田三蔵は踏みこんで一刀、さらに一刀、皇太子は大声をあげて人力車からとびおり一散に逃げる。三蔵はなおも追いせまって、うしろから一太刀を浴びせたが、それより前に後続のギリシャ皇子が(くるま)からはねおり、もっていた竹鞭で三蔵を連打したため、わずかに届かない。

 その隙に、皇子の左後押しの車夫向畑治三郎が足をとって前へ倒し、右後押しの北賀市太郎がサーベルを奪いとって、三蔵の後頭部と背部を切りつける。結局三蔵はとり押さえられた。

 負傷したニコライは民家にかけこんで、応急の手当てをうけた。傷は頭部に二カ所、骨を傷つける長さ七センチ、骨膜に達する長さ九センチのものであるが、生命についての心配はない。しかし、なにしろ強大な陸軍国ロシアの尊貴な皇太子を傷つけたとあっては、戦争になってもおかしくはないと、日本中が震撼(しんかん)した。うしろには地球の全陸地の六分の一を領土とするロマノフ王朝が控えている。

 東京では御前会議がひらかれ、なにはともあれニコライのお見舞いに、ということで明治天皇は京都へ急行する。ところが二十三歳のニコライは冷たい態度で三十九歳の天皇に応対した。
「これ以上旅行をつづけるかどうかは、本国の両陛下のご指示によることで、私自身の決定の外にある」

 とニベもなくいうと、神戸へむかい乗艦に移乗する。そして十九日夕刻、さっさと帰国してしまった。明治天皇もがっかりしたろうが、それにもまして周章狼狽したのが第一次松方正義内閣である。
「哀れのきわみなれど津田を死刑にして、ロマノフ家の怒りをなだめるほかはない」

 と閣僚全員の意見は一致した。

“法”の権威


 ところがその前に“法”の権威というものがしっかりと立ち塞がった。そこで閣僚たちは知恵をしぼった。刑法一一六条に「天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加へ又ハ加へントシタル者ハ死刑ニ処ス」とある。これは“日本の”と断っているわけではない。外国の皇族などもふくむと考えていいのである。それが政府の見解である。

 これにたいし大審院長児島惟謙が大反対した。刑法一一六条は明らかに日本の皇室について規定したものであり、ロシアの歓心を買うためにみずから法を曲げるようでは、司法権の尊厳は犯され、国家としての自主性も危うくするものである。この事件に適用すべきは刑法二九二条のほかはない。すなわち津田の場合は謀殺(計画殺人)未遂ゆえに、無期または有期の徒刑に処するのが当然である、と児島を先頭に大審院判事たちは主張した。

 内務大臣西郷従道(つぐみち)はホトホト困りぬいた。
「予はもとより法律論を知らず。然れども、もし果してかくの如きの処分(普通殺人未遂の扱い)に出ずるならんか、露国の艦隊は品川湾頭に殺到し、一発の下にわが帝国は微塵とならん」

 児島はきっぱりと答えた。
「法律に正条あるを以て、閣下らを満足せしむるの結果を得ること能わざるなり。
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