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観光名所から一〇〇〇年の流れがよくわかる! [図説]<時代順>京都歩き
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第二章 鎌倉時代

『観光名所から一〇〇〇年の流れがよくわかる! [図説]<時代順>京都歩き』
[監修]森谷尅久 [発行]PHP研究所


読了目安時間:18分
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栄西、建仁寺を創建一二〇二年
建仁寺は、なぜ茶の木で埋め尽くされているのか?
【建仁寺】東山区 


 鎌倉時代に興った新仏教のなかで、浄土系の宗派と並んで人々に広まったのが、禅宗である。京都では、禅宗の宗派の一つ臨済宗(りんざいしゅう)栄西(えいさい)によって広められた。

 栄西は当時、大陸の宋で禅宗が盛んなことを知り、宋に渡った。臨済宗の禅を五年にわたり修行し、その法を修得して一一九一(建久二)年、帰国。

 栄西が京都でその臨済宗を広めるために創建したのが、ここ建仁寺(けんにんじ)である。帰国当初は、天台宗の比叡山延暦寺の圧力が強く、京都に禅寺を造ることは困難だったため、最初は九州の博多に聖福寺(しょうふくじ)を建ててここを修行場とした。

 その後二代将軍・源頼家(よりいえ)の援助を頼み、一二〇二(建仁二)年に頼家が寄進した東山山麓の広大な敷地に寺院を創建したのだ。これが現在の建仁寺で、京都で初めて造られた禅寺である。

 現在、建仁寺は園花街の花見小路近くに荘厳なたたずまいを見せている。ここには、江戸時代の大画家・俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いた「風神雷神図(ふうじんらいじんず)」の屏風絵、現代日本画家として知られる小泉淳作(じゅんさく)が描いた「双龍図(そうりゅうず)」が納められていることでも有名である。

 足を一歩踏み入れてまず目につくのは、境内を埋め尽くす茶の木の生け垣である。法堂(はっとう)方丈(ほうじょう)などの周りにまで茶の木が所狭しと植えられ、一一月になると、寺は白い可憐な茶の花で彩られる。境内にある栄西の墓所・開山堂(かいさんどう)の前には、茶碑と茶畑までが造られている。

 なぜ禅寺に、これほどまで茶の木があるのか、不思議である。


京都の茶の歴史は建仁寺から生まれた

 じつは、栄西は日本に禅宗をもたらしただけでなく、宋から茶の種を持ち帰り、茶の栽培と薬効を広めた「茶の開祖」でもある。栄西は宋で熱病にかかったとき、茶を飲ませてもらって回復したことから、その薬効に驚き、日本に茶の種を持ち帰ったのだ。

 栄西は建仁寺で禅を広めると同時に、茶の栽培を人々に奨励した。そのなかに京都栂尾(とがのお)高山寺(こうざんじ)を創建した明恵(みょうえ)もいた。明恵はたびたび建仁寺の栄西の元を訪れ、茶の栽培法の教えを受け、茶の種を貰い受けて高山寺境内で茶の栽培を始めた。さらに茶園を宇治にも造ったため宇治茶が誕生し、京都に茶の栽培と茶道が広く伝わるきっかけとなった。

 今日の宇治茶をはじめ、京都の茶の歴史は、建仁寺の栄西から生まれたといっても過言ではない。

 その歴史的背景から、建仁寺境内には茶の生け垣が巡らされ、茶碑が建てられている。

 建仁寺では「四頭茶礼(よつがしらされい)」という禅宗の作法にのっとった茶道が行なわれていた。その茶の作法は、現在でも毎年四月二〇日の栄西誕生の日に、建仁寺内の茶室で催されている。

 さらに茶の薬効を広めようと、栄西は『喫茶養生記(きっさようじょうき)』という茶の栽培法から喫茶法、薬効までを記した本を執筆、世に出している。そのおかげで、茶は禅宗とともに鎌倉武士の間で受け入れられ日本中に広まっていったのである。
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