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(2021/11/26 追記)

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「ひと」として大切なこと
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生き方・教養
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人間の尊さ

『「ひと」として大切なこと』
[著]渡辺和子 [発行]PHP研究所


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なぜ人間は尊いのか

「地球よりも重い一つの生命」という言葉に表わされるように、今や私たちの周囲には“人間の尊厳”という言葉が溢れ、私たちは、それを当たり前のことと思い、その言葉に慣れてしまっているのではないでしょうか。それではなぜ尊いんですかと尋ねられた時に、なんと答えるだろうと自分で思い、答えをいくつか考えてみました。


都合がいいから


 その一番目の答えは、ひじょうに次元の低い答えで、皆さんから軽蔑されそうですけれど、“都合がいい”からだと思います。なぜなら、人間は他の植物とか動物の生命を犠牲にしてしか生きていけないからです。動物を殺し、植物を食べ、山をこわし、谷を埋め、木を切り倒して自然を破壊していく。人間は尊いからそういうものを使う権利があるという、都合のいい文句として“人間は尊い”ということが使われている時があります。


能力的にすぐれているから


 それから、そういう本音とは別に、たてまえとして、他と比べて能力的にすぐれているからというのが、たしかに人間の尊さの理由になっていると思うんです。しかしながら、この二番目の理由を楯にとると、では他のものと比べてすぐれていない人間は抹殺してもいいのかということになります。能力というものを中心に考えますと、ロボットより劣る人間は切り捨てていいのか。知的障害者はどうなるのか。身体障害者は、痴呆症の老人は。そのように、能力があるがゆえに尊いとした時に、IQのいくつ以下は殺していいじゃないかという倫理観がまかり通る恐ろしいことになりかねません。ですから、能力があるがゆえに尊いというのも事実でしょうけれども、では能力的に犬や馬にも劣り、機械に劣る人間は、抹殺していいのかという疑問も出てきます。


輪廻に基づく考え


 なぜ尊いのかの三番目は仏教的な考え方ですけれども、人間界に生まれたからということが言えると思います。仏教はご承知のように、輪廻という考え方を持っていて、生命が生成流転、生まれ変わっていくということを信じています。たまたま今、皆さんも私も人間としての生を()けておりますけれども、前世は違ったかも知れません。また、死んでからの後生と呼ばれるものも、もしかしたらば、犬か猫になるかも知れない。この仏教の考え方の根本には、人間も他の生物も木石も根本的には違わない。すべてのものには仏性があるという考えがあります。すべてのものが仏さまになれる。私たちも、石や木も、犬や猫もなれます。これはキリスト教と根本的に違っている考え方です。私みたいに途中からキリスト教徒になった人間は、まだ仏教的なものが捨てきれないで自分の中にあるんですけれども、キリスト教は、人間は他のものとはまったく違うという感覚を持っています。そして、人間のためにすべてのものがつくられているという考えが強いです。

 しかしながら、仏教には、人間も行いが良ければ仏さまになれるけれども、行いが悪ければ、次の世では畜生道に堕ちて、犬や猫や馬や牛になる可能性が十分にある。前世は、もしかするとチョウチョウかアブかハチかそんなものだったかも知れない。お魚だったかも知れない。たまたま今人間界に生まれてきている。だから、お互い同士を大事にして生きていようということが人間の尊厳の理由にあげられます。針供養という言葉をお聞きになったことがあるでしょう。私たちが縫いものをする針を、一年にいっぺんですが、供養してやる。これなんか、ほんとうに仏教的な考え方で、アメリカ人なんか不思議に思うらしいです。「どうして、針をかわいそうだと思うのか、針をおまつりするのか」と言って、すごく不思議そうな顔をします。私たち日本人の心の中には、何となく針にも魂があって、「ああ、ご苦労さんでした」という気持ちから、針供養をするんだと思うんです。

 皆さん方も、とってもかわいがっていた犬などが死ぬ時に、「成仏しなさい」と言ってお墓に埋めておやりになることがあると思います。成仏というのは、仏に成ると書くわけです。だから、犬として生きて、今の世の中ほんとに辛かっただろう。今度は仏になりなさいよと言って手を合わせるわけです。それは、すべてのものに仏性がある。たまたま生まれた場所が人間界、畜生道、餓鬼道というように、「界」「道」という字で表わされる場所の違い(ヽヽヽヽヽ)という、そういう考えに基づいています。


聖書に基づく考え


 キリスト教というか、聖書に基づく人間の尊厳ということについて、あげてみたいと思います。これは、信仰のいかんにかかわらず、一つの常識として必要だからです。聖書を英語で Bible と言います。the Book、Bを大文字にした時には、聖書を指すという常識があるほど、聖書は「本の中の本」と言われています。もし無人島に一人で何年かを過ごさないといけないとしたらなにを持って行くかと聞かれたら、昔の人は、聖書を持って行くと答えたと言われるほどです。聖書は、二つの大きな部分に分かれています。旧約聖書と新約聖書。古い約束、旧約聖書というのは、天地の創造からキリスト降誕までを書いた本です。そして、新しい契約の本、新約聖書というのは、その古い約束が実現して、十二月の二十五日にその誕生を祝う救い主イエス・キリストの生涯と教えが書かれたものです。古い約束は、天地創造後に罪を犯した人間に、救い主を遣わすという神の約束だったわけですね。そして、約束が果たされて救い主が人間の中に生まれた。今度は新しい契約としてキリストを信じる者は永遠の命を受けるという、その約束が、新しい契約ということで、新約聖書に書かれています。皆さん方もご承知だと思いますけれども、旧約聖書の方がずっと厚いです。新約聖書というのは、旧約聖書の四分の一か、そのぐらいしかありません。

 この旧約聖書の一番初めに、天地創造(creation)が、創世記と呼ばれる章に書かれています。創世記というのは、神が初めに天と地とを創造されたという言葉で始まり、第一日目に、光と闇、つまり昼と夜をつくられた。第二日目に、空をつくり、第三日目に、陸と海、木と草をつくり、第四日目に、太陽と星と月をつくった。第五日目に、空を飛ぶ鳥と、魚をつくり、そして、第六日目に、地の獣をつくったと書かれています。その後にこう書いてあります。


  神はまた言われた。「我々の形にかたどって人をつくり、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべてのうものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人をつくられた。男と女とにつくられた。そして、神は彼等を祝福して言われた。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また、海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。また、神は言われた。「わたしは全地のおもてにある種を持つすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなた方に与える。これは、あなた方の食物となるであろう。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地にうすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。神がつくったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった。
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