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(2021/11/26 追記)

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三日坊主の心理学
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生き方・教養
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第3章 なおらなかった三日坊主をなおす方法

『三日坊主の心理学』
[著]大原健士郎 [発行]PHP研究所


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頭では分かっていても、実行できないあなたに


「気が散って困る」という考えにこだわるよりも


 精神の集中と持続を直接的に測定する方法はまずない。その人がどのような仕事に心から打ちこんでいるか否かということは、その人の仕事に対する態度とか能率とかを参考にして判定する以外には手はない。

 その人の存在を価値づけるものは、その人が何を考え、何を悩み、何を喜んでいるかということではなく、その人の行動とその実績なのである。

 人が自分に与えられた仕事を「何て馬鹿げたことだろう」と思い、「俺ばっかり使いやがって、今にみていろ」と上司をうらんだりしていても、表面的にはにこやかに、柔順(じゆうじゆん)に仕事に励んでいれば、立派な社員として通用するのである。それと反対に、「自分の仕事は、天命だ。この仕事を与えてくれた上司に感謝しなければならない」と内心考えていても、仕事をまともにしなければ、その人は怠け者である。

 いくら立派なことを考え、夢みていても、人の物を盗めば泥棒だし、人の物を盗んでやろうと考えていても、人を助ければ恩人として感謝される。われわれが通常使用している人物測定の基準は、その人が何を考えるかということではなく、その人が何をするかということである。考えることと、することとは違うのである。死にたいと考えることと、死ぬこととは違うし、しっかりやろうと決心することと、立派な仕事をすることとは異なる。

 決心とか決意とかは一つの気分である。気分はつねに変化する。決心がいつまでも続くものでもないし、また続いても困るのである。

 友人に裏切られて、その人と絶交を決意したとする。その友人が(あやま)ってきても、その裏切りが真実でないと分かっても、その人との絶交を続ける者は変人である。このような意味から、われわれは人の考えていること、いうことにあまり大きな比重をおくべきでないし、その人の行動とその結果に比重をおくべきことが分かると思う。

 精神の集中と持続は、あくまでも客観的に調べる必要がある。「自分はどうも精神が一つことに集中しない。気が散って困る」といっても、そう考えることと実際とは異なる場合が多いのである。

 一般に、「自分は気が散る」と悩む者は案外仕事はまともにできているものである。もしもそのような人が、実際上仕事を放棄しているとすれば、それはできないのではなく、しないのである。彼らは「他の者とくらべて、自分はどうも精神を集中する能力がないようだ」と述べるかもしれない。しかし、他人も雑念は常に頭に浮んでいるし、精神をそうそう一つ事に集中しているわけではない。他人の心理的メカニズムを自分のそれと比較して、自分が病的だと判断することはとてもできない相談なのである。

自分から病気になってしまってはいけない

「精神が集中できない」とこぼす人は、ノイローゼになっている人によくみられるが、ノイローゼは決して能力が落ちているのではなく、落ちていると自分で信じ、一人角力(ひとりずもう)をとっているのである。

 このような人たちの特徴は、「あなたは正常だ。決して普通の人と変るところがない」と診断されると、非常に不満の意を表わすことである。
「先生はわたしの悩みを知らない。わたしは気が散って、とても日常生活が(いとな)めないのです……」

 と食ってかかる。

 通常、病人は医師から「あなたは健康ですよ」とか「病気は大したことはありませんよ」などと言われると、喜ぶものである。風邪の患者でも、(がん)で死にかかっている人でも、病気が軽いといわれると心から喜ぶ。

 しかし、ノイローゼの人だけは別である。軽いといわれると「あの医者はヤブだ」と考え、次から次へと医師をかえて、たまたま「これは大変だ。入院でもしてなおしましょう」などという本物のヤブ医者にぶつかると、やっと気持が落着き、その医師に金と時間を注ぎこむのである。

 このノイローゼの患者と対照的なのが精神分裂病患者である。彼らはいくら医師から、
「あなたはどうも仕事がまとまりませんね。精神が集中していないんでしょう」

 と注意されても、(がん)としてそれを否定する。彼らは何だかんだと理屈をこねて、自分は決して病気ではないと主張する。

 病気であるかどうか、その人の心理状態が病的であるかどうかということは、医師が判断するのであって、本人自身ではないのである。

 たとえ、自分は健康そのものだと信じていても、レントゲンを()って肺結核症だといわれ、血液や尿の検査から糖尿病だと診断されれば、その人は病人である。それとはまったく反対に、自分は精神が集中できず、意志が弱くて、精神的に病気だと考えていても、医師が正常だと判断を下せば、それは病気ではないのである。

 このような意味から、その人が病的に精神が集中できず、持続力がないと判断されるには、それだけの客観的な尺度を必要とする。

 ただここで注意しておかねばならないことは、人間の心理は常に内外の刺激によって揺れ動いているので、できるだけ刺激の少ない場所と時とを選ぶべきであることは言うまでもないことである。

 たとえば、試験の前日で気分が動揺している時とか、母親が脳出血で入院した日とかに、いくら検査をしても正確な資料とはならない。そのような時にも平然としている人は異常者であるし、正常人でなくても正常の成績がえられるような検査であれば、検査そのものにも問題があるわけで、そのような状況はできるだけ避けるべきである。


三日坊主をいつの間にかなおしてしまう処方箋(カルテ)

禁酒・禁煙を決心しても、いつも三日と続きません


 酒やタバコは、人間の弱さと結びついているので、なかなかそう簡単に断つことはできない。ある人は酒を飲むことによって会社や家庭のわずらわしさを消すことができるだろうし、不眠症を解消することができるかもしれない。またある人は、酒を飲むことによってはじめて友だちづき合いを保てるかもしれないし、酒を飲むことによって商売の取引きがスムーズにゆくかもしれない。

 酒ほどではないが、喫煙も似たような効果をもっている。タバコを口にくわえることによって、会話の()が保てるし、気が散って落着かない時には、タバコをのむことによって気持はある程度弛緩(しかん)される。気どった人間はタバコをのむことによってポーズを作るだろうし、気まずい思いもタバコが救ってくれる時がある。

 しかしこれらの効果は、酒やタバコだけによってえられるものではない。

 わたくしは、アルコール依存で入院する患者を集めて、週に一回集団精神療法を行なっているが、新入院患者には、酒を飲み続けてきて得をしたことがあるかと(たず)ねることにしている。時には上述のような利点をあげる者もあるが、概して得をするようなことはなかったと答える。プラス・マイナスしてどうかと尋ねると、全員がマイナスだと述べる。タバコを喫いすぎる者もやはり同じような答えをする。

 このようにおよそ(とく)らしい得もなく、害ばかり数えあげられる酒やタバコがやめられない理由は、一体どこにあるのだろうか。ただ何となくのみ出した酒やタバコが、ただ何となくやめられないというのが本当のところかもしれない。
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