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心がやすらぐ仏教の教え
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生き方・教養
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まえがき

『心がやすらぐ仏教の教え』
[著]ひろさちや [発行]PHP研究所


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 きらいなくせに、つい使ってしまうことばがある。使ったとたんに、「あっ、しまった 」と思うのだが、どうしても口にしてしまうのだ。よほど刷り込みが強烈なのだろう。

 そのことばは、

 ――がんばる――

 である。
「どうか、がんばってください」
「はい、一所懸命がんばります」

 と、ついつい言ってしまう。

 わたしだけではない。他人様が心の中でどう思っておられるかわからないが、ともかくこの“がんばる”は使用頻度の高いことばだ。使用頻度からすれば、日本人の大好きなことばだといえよう。

 しかし、わたしはきらいだ。どうもこのことばが好きになれない。どうして好きになれないか、自分でもよく理由がわからないので、ある日、辞書を引いてみた。

 驚いた。
「がんばる〔頑張る〕〔「頑張る」は当て字。「()に張る」または「(がん)張る」の転という〕他の意見を押しのけて、強く自分の意見を押し通す。我を張る。苦しさに負けずに努力する。ある場所に座を占めて、少しも動こうとしない」(『大辞林』三省堂)

 電車に乗って、空いている席に腰を掛ける。隣の人がほんのちょっと腰を動かしてくれると、こちらはだいぶ楽になるのに、(てこ)でも動くものか――とがんばる(ヽヽヽヽ)人がいる。あれが「がんばる」である。辞書にはそう説明されている。だとすると、われわれはがんばってはいけないのだ。がんばることは悪いことなのだ。わたしはなんとなく“がんばる”ということばがきらいであったが、これで安心した。堂々ときらっていいことばなのだ。

 電車のことを書いたので、ついでに言っておく。満員電車でおもしろいのは、停車中は苦しくてならない。満員のところになおかつ大勢が乗ってくるので、先に乗車していた人は圧迫される。しかも、隣の人の腕やら肘やらがこちらを強打するかたちになっている。みんながみんながんばって、他人の接近(というより密着)を拒んでいるから、苦しくてならないのだ。

 だが、電車が動き出すと、とたんに少しは楽になる。

 あれは、電車が揺れるもので、どうしてもがんばりの姿勢が崩れてしまうからだ。

 つまり、みんなががんばっていると、みんなが苦しくてならないのだ。そのがんばりが取れると、満員電車に変りはないが、ちっとはまし(ヽヽ)になる。

 だから、がんばってはいけないのである。

 ところが……。

 お気づきのように、いまの日本人、どいつもこいつもがんばっている。血眼(ちまなこ)になってがんばっている。あくせくとがんばっている。「がんばれ、がんばれ」と、必死になって叫んでいる。

 これは、要するに、「がんばる」以外の生き方を知らないからである。
「がんばる」よりほかないから、がんばって生きるより仕方がないのである。

 日本人は、なぜ「がんばる」よりほかないかといえば、自分以外に頼るものがないからである。「がんばる」ことは「我を張る」、つまり「自分を立てる」ことであるから、自分以外に頼るものがなければ、がんばるよりほかない。

 自分以外に頼るものがない――。だって、政治に頼ることはできない。日本の政治は、もうすぐ崩壊するだろう。経済も同じ。バブルの崩壊は日本経済全体の崩壊の前兆であって、もうすぐ日本の貨幣はクズ紙同然になってしまう。不況は確実にやってくる。大地震がくるかもしれない。あなたは老後を、誰に頼ることができますか? 日本の会社は、とっくの昔に終身雇用をやめている。生命保険をかけていても、満期になっての配当金は、ごっそり目減りしている。

 お先真っ暗の状態である。

 だから、ともかくも「がんばる」よりほかない。自分だけが頼りだから、自分を立てて「がんばる」よりほかにない。みんながみんなそう思っているから、エゴとエゴとのぶつかり合いで、日本の社会はますます窮屈になっている。

 これじゃあ、しんどい――。

 それはわかっていても、日本人は本当の生き方を知らないから、ますますがんばってしまうのだ。


  *  


 そんな日本人に、わたしはほんのちょっとしたアドヴァイスをしたいと思って、本書を書いた。

 そんなにがんばらなくていいんですよ――。

 というのが、わたしの言いたいことだ。

 なぜなら、わたしたちは全員、この「自分」という存在をほとけさまからお預かりしているのだ。わたしは「わたし」という存在をほとけさまからお預かりしている。あなたは「あなた」という存在をほとけさまから預かっている。とすれば、「わたし」も「あなた」も、みんなほとけさまなのだ。なにもほとけさまどうしが、角突き合わせてがんばって生きる必要はない。そのことに気づけば、お互い気楽に生きられるのだ。ただほんのちょっと、そのことに気がつくだけでいい。そうすると、この人生をもっと幸せに生きることができるのだ。

 つまり、「がんばる」のではなしに、すべてをほとけさまに「おまかせする」生き方がいい。自分以外に頼るものがないのではない。ほとけさまという頼れる存在がある。そのほとけさまにすべてを「おまかせ」すれば、それで気楽に生きられるのだ。それが、現代日本人を救ってくれる仏教の教えである。

 わたしはそのように信じて、この本を書いた。願わくは、がんばりにがんばって気が狂いそうになり、潰滅寸前の状態にある日本人が、本物の仏教の教えによって少しでも楽にならんことを……。わたしたちの人生は、決してマラソン・レースではない。ゴールに入る必要はないのだ。のんびりとゆったりと生きればいい。

 ――がんばらなくていいのだ――

 それがわかれば、気楽に生きられる。その気楽さが、あなたを幸せにしてくれる。わたしはそれを確信している。


  *  


 本書は、大法輪閣から刊行されている月刊誌『大法輪』の一九九一年十月号から一九九二年八月号にかけて連載したものをまとめたものである。連載のときのタイトルは、

 ――「無我の意味」――

 であった。連載に際しては、大法輪閣の小山弘利氏にお世話になった。また、単行本にするにあたっては、PHP研究所の阿達真寿氏にお世話になった。心よりお礼を申し上げる。
合掌

一九九二年 九月四日
ひろ さちや
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