読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1257527
0
心がやすらぐ仏教の教え
2
0
0
0
0
0
0
生き方・教養
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第二講 「自由」に生きる

『心がやすらぐ仏教の教え』
[著]ひろさちや [発行]PHP研究所


読了目安時間:14分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ

―― 常識の虜から脱すること ――


◆「倩女離魂(せいじよりこん)」の公案


 禅の話に行ったものだから、もう少し禅の話をつづける。

 じつは、わたしの念頭には、わが国曹洞宗(そうとうしゆう)の開祖の道元のことばがある。「真実の自己」といったことを書きはじめると、道元の『正法眼蔵(しようぼうげんんぞう)』の「現成公案(げんじようこうあん)」の巻のことばがすぐに頭に浮かんでくる。
「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり」

 ――仏道の修行というものは、自己を学ぶことだ。自己を学ぶというのは、自己を忘れることだ。自己を忘れるというのは、宇宙の真理と一つになることである――

 道元は、自分を発見することは自分を忘れることだ――といったパラドックス(逆説)を語っている。しかし、この道元のことばについては、もう少しあとで考えよう。いきなりここからはじめたのでは、むずかしすぎる。

 わたしがここでとりあげたいのは、『無門関(むもんかん)』第三十五則にある「倩女離魂」の公案である。『無門関』というのは、中国宋の時代につくられた禅の公案集である。公案というのは、禅の世界における一種の試験問題だと思っていい。その第三十五則は次のような問題である。
五祖(ごそ)、僧に問うて云く、『倩女離魂、那箇(なこ)か是れ真底(しんてい)』」

 ――唐代の禅僧の五祖法演(ごそほうえん)は、僧に問題を出された。「倩女の魂が抜け出てしまった。どちらが本物か?」――

 これだけじゃ、いったい何の話か、さっぱりわからない。

 じつは、当時(というのは五祖法演の時代であるが)、倩女に関する怪談(ばなし)があった。それを五祖法演は使っているのだ。したがって、この怪談噺を知らなければ、この公案はわかりっこないのである。

 倩女というのは、(ちよう)家の一人娘である。いや、彼女には姉がいたが、姉は早くに死んだので、一人娘として大事に育てられた。

 この倩女に、王宙(おうちゆう)といういとこがいた。なかなかの好青年であった。

 二人がまだ子どものころ、倩女の父親が戯れに、
「倩女と王宙は似合いのカップルである。二人を結婚させるといい夫婦になるだろう……」

 と言った。ま、われわれだって、こういうことはときどき言う。別段、本気ではない。かといって、まるっきりでたらめでもない。二人を結婚させてみようか……といった気もある。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:5685文字/本文:6716文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次