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駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史
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歴史
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第六章 ヘレン・ケラーの来日

『駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史』
[著]太田尚樹 [発行]PHP研究所


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儀礼で終わったご進講


 グルーが各国外交団の首席になると、意外な役が回ってきた。年四回、天皇の前で定期的にご進講(しんこう)し、宮中の公式行事にも別途(べつと)、参列することになったのである。

 だがご進講では、慣例上、天皇は口を(はさ)めず、グルーのほうから質問することもできない。そこでペリー提督来航以後の日米関係の変遷と重要性を説明してから、
「両国の関係は世界の如何(いか)なる潮流の中にあっても、揺るぎないものでありたいものでございます」

 という理想論で締め(くく)ることになる。それでも天皇が米国の考え方を、グルーの外交理念から()み取る意義は、けっして小さくはなかったとみられる。

 かつては国際連盟事務次長を長く務め、米国の指導者たちとも親交の深かった新渡戸稲造(にとべいなぞう)が、個別にご進講役を(おお)せつかっていた。

 そのとき、天皇との間にどんなやり取りがあったのか新渡戸は口外していないが、常々講演などで、
「日本は寛洪(かんこう)な良き天皇を(いただ)いて有難い。自分はいくら個人的に悪口を言われても、かかることにへこたれることはない。苦しい中にも何かしら張り合いを感じている」

 と語っていた。晩年の昭和七、八年(一九三二、三三)頃のことである。
「苦しい中にも……」と言っているのは、第一次上海(シヤンハイ)事変が勃発(ぼつぱつ)した直後の昭和七年二月、講演先の愛媛県松山市で、オフレコと断ったうえで記者団に、
「私は満洲事変については我らの態度は当然のことと思う。しかし今度の上海事変に対しては、正当防衛とは申しかねる」

 の発言が、地元の『海南新聞』に出て物議(ぶつぎ)をかもしたからである。さらにこのとき、
「近頃、毎朝起きて新聞を見ると、思わず暗い気持ちになってしまう。わが国を滅ぼすのは共産主義か軍閥かである。そのどちらが怖いかと問われたら、いまでは軍閥と答えねばなるまい」

 と発言したことで、軍部や在郷軍人会の「亡くなった英霊をなんと心得るか」と、命まで狙われていたのだ。
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