読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1257835
0
駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史
2
0
0
0
0
0
0
歴史
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第十二章 開戦へのカウントダウン

『駐日米国大使ジョセフ・グルーの昭和史』
[著]太田尚樹 [発行]PHP研究所


読了目安時間:14分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ

日ソ中立条約締結


 日米開戦の年を迎えた。松岡洋右(まつおかようすけ)外相がまず動き、四月十三日、スターリンとの間で日ソ中立条約がモスクワで調印された。これで背後を固めたと判断した松岡は、ホワイト・ハウスに乗り込んで、ローズヴェルトと差しで日米交渉を(まと)める腹だったという。

 では日ソ中立条約を結んだ日本側の意図(いと)を、グルーは本国にどう伝えたのか。国務省に()てた電文には、「日本は満ソ国境に駐屯(ちゆうとん)せる関東軍の一部を中国戦線に移動させ、事変の早期解決を(はか)る意図あるらし。また日米戦が起きた場合、ソ連が局外中立を保障する点で、南進政策を容易にすることは確実なり」とある。「戦争」という言葉を初めて使ったのだ。

 これより二カ月前の二月中旬、松岡やグルーから期待されてワシントンに着任した野村吉三郎(のむらきちさぶろう)大使は、ローズヴェルト大統領から、いかにも旧友を迎えるといった(てい)で執務室に招き入れられた。「昔と少しも変わらないね。君の顔と眼の傷も外から見たら気が付かないよ」と、上海(シャンハイ)事変の停戦交渉のさなか、現地の天長節祝賀会場で起きたテロ事件で受けた傷を(いたわ)わってくれたし、ハル国務長官も温かく迎えてくれた。

 一九一五年(大正四年)一月、日本大使館付海軍武官としてワシントンに赴任した野村は、海軍次官のローズヴェルトと親しくなり、以後も二人は親密な間柄であった。

 当時、国務省にいた若きグルーとも知り合ったが、野村とグルーが本当に親しくなったのは、第一次世界大戦後の講和会議が開かれていたパリであった。

 野村は外交のエキスパートではなかった。だが暗礁(あんしよう)に乗り上げた今の日米関係を打開するには、信頼できる人間同士が交渉のテーブルに着くのが先決とみて、松岡が送り出したのだった。野村の壮行会の席で、グルーは松岡に向かって、
「この人事はあなたのヒット作ですね」

 と言い、ハル長官宛には、
「野村は高潔(こうけつ)にして、信頼、尊敬できる人物なり」

 の電文を送っていた。

 だがグルーは内心、松岡・野村コンビでこの難局を乗り切れるのか、危惧(きぐ)していた。野村が松岡をまったく信頼していない事実を、牧野伸顕(まきののぶあき)西園寺公望(さいおんじきんもち)の秘書、原田熊雄(はらだくまお)から聞いていたからである。

 その後、野村とハルは頻繁(ひんぱん)に会うことになったが、東京から送られてくる訓令は日米間の懸案(けんあん)事項、中でも欧州戦争に対する日米両国の態度の確認、双方の通商問題、さらに「米国は介石(しようかいせき)政権に対して、日本との和平を勧告すべし」が骨子(こつし)になっていた。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:5390文字/本文:6522文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次