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(2021/9/29 UP)

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第一部 あたたかい家族

『のびのび子育て』
[著]吉岡たすく [発行]PHP研究所


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1 お母さんからの手紙

「テレビ寺子屋」で話をしますと、テレビを見ておられた方から、お手紙をいただくことがあります。また、私の書いた本をお読みくださった方から、いろいろ感想を書いたお手紙をいただきます。そのお手紙の中で、嬉しいのは、“私も同じような経験を持っています”“子どもの頃を思い出しました”と書かれているときや、その方ご自身のことを書いて送ってきてくださるときです。

 読ませていただいて、私にとって、とてもいい勉強をさせていただくのです。会ったことのない人ですが、手紙を通して心が通じあうのです。そして、お互いに励ましあい、なぐさめあうことができるのです。

 まごころのこもった手紙をいただくと、心がほのぼのとします。

 ほんとうに嬉しいことです。

母親になって湧いてきた母への想い


 静岡県の沼津市に住んでおられるAさんからいただいた手紙です。

 私は旅をしていて、国鉄の駅の中に、珍しい駅名を見つけ、放送の中で話をしたことがあります。北海道に「母恋」(ボコイ)という駅があるのです。「母恋しい」という名です。いい名前でしょう。これは室蘭の一つ手前の駅です。この駅では、五月の第二日曜日の「母の日」に、記念特別切符(入場券)を売り出しているのです。きれいな絵が印刷された切符です。なかなか好評で、たくさん売れるそうです。私はこういう話をしたのです。そうしたら、Aさんは駅の方に申しこんで、この「母恋」の切符をお買いになったのです。そして、なぜその切符を求めたのか、わけを書いてくださったのです。

《母は、私が二歳二カ月のとき死にました。父は、五歳一カ月のとき世を去りました。父が死んだあとは、私は他人様の手で育てられました。でも、私は母がいないことで、よその方のお母さまを見て、うらやましいと思ったことは一度もありませんでした。というのは、私は母を知らなかったからです。なまじ母の愛を知って、母と死に別れた方は、多分母のぬくもりを知っていらっしゃるから、母恋しという気持ちがあるでしょう。でも、私にはそれが全然なかったのです。ところが、自分が母親になったとき、はじめて母親というものがどういうものかということがわかって、今まで何とも思っていなかった母親に対して、恋しい気持ちが心の中に湧いてきたのです。そこで、今まではそんなことはなかったのですが、自分の母親の写真をいつも持って歩くようになりました。先生の放送のお話を聞いて、『母恋』駅の切符がほしくなりました。さっそく駅に申しこんで、送っていただきました。私はいつも母親の写真とともに、『母恋』の切符も持っているのです。》


 こんなお手紙をいただきました。私まで嬉しくなってしまいました。ほのぼのとしたあたたかさを感じるのです。

手をかけない次男がのびのびした子どもに育った


 次の手紙は岡山県に住んでいらっしゃるMさんからいただいた手紙です。この手紙をお読みになると、きっとあなたも「ああ、うちも同じだわ」と思われることでしょう。

《私は、二十歳で結婚しました。二十一歳で長男が生まれました。二十歳といえば、まだまだ遊びたい盛りの年ですので、ともだちが「どうしてそんなに早く結婚したの」とよく言います。でも、私は待望の子育てを早くしたいと思いましたので、早く結婚してと意気込んでいたのです。

 そして、まず二十一歳のとき長男が生まれました。それで、子育てを始めたのです。まず育児書を読みました。片っぱしから読みました。育児書にしたがってやれば、必ず子どもがよくなるだろうと思っていました。だから、あお向けに寝かせたらいいか、うつ伏せに寝かせた方がいいか、それも研究してやりました。おしめは母の縫ってくれたゆかたよりは、まっ白いものがいいとか、いろんな事をやりました。その横で見ていて、母がしまいにあきれてしまって「子どもを育てるのに、そんな事ではだめよ」と言うんですが「いやこの本にこう書いてあるから」と言って、私は一生懸命にやりました。今から考えますと、全く新米のだめ母親だったと思います。

 ところが、次に次男が生まれました。今考えますと、長男にとった態度と、次男にとった態度とでは、ものすごい変化が起きました。おかしな話ですが、鯉のぼり一つを考えても、長男のときには、毎日毎日天気をうかがっては、あげたりおろしたりしました。次男のときは、もう忙しいし、鯉のぼりなんてあげなくても、元気になる子は元気になるんだわといった具合で、鯉のぼりをあげなくなってしまいました。必死になって育てた長男、はっきり言うと、ゆるんだ気持ちで育てた次男、その二人を今見てみますと、ずい分ちがっています。あまり手を加えなかった次男の方が最近はのびのびしていて、素直なような気がするのです。》


 そのほか、いろいろと書いていらっしゃるのですが「長男の場合は一生懸命に手をつくしたが、意外に自分の思うようにならない。それにくらべて、次男の方はのびのびとしているように思える。不思議でしかたがない」と書いておられるのを読ませていただいて、なるほどな、とうなずきました。

 どこのご家庭でも、長男の写真がすごく多くあるのに、次男、そしてあとの子どもになると、長男の写真ほど数多くないようです。こんなところにも、はじめの子どもと次の子どもではちがっているようです。いろいろ気を使って、手を加えたはじめの子どもの方が次の子どもよりよくなるかといえば、必ずしもそうではないようです。不思議なことだと私も思います。

子どもを抱きしめよう


 次のお手紙は、愛知県のIさんの手紙です。

《私の母は、明治四十五年生まれです。その母が三十八歳のとき、私を産みました。私は五番目の子どもでした。母は五十二歳でこの世を去りました。思いおこすと、私の母は先生が話をなさるお母さんによく似ているように思います。

 私にとって非常にやさしい母でした。寒い冬に、しわだらけの、あったかい、大きな手で、私の手をいつも両側からつつんであたためてくれました。私はそのたびに、お母ちゃんがこうしてくれることがいつまで続くかわからないから、私はこのぬくもりを覚えておこうと一生懸命にそう思いました。》


 私はこのIさんの言葉を大事だなと思います。親と子のふれあい ―― からだを通して親のあたたかさを感じることは、子どもにとって一番大事なことなのです。

 ある二年生の子どもの書いた作文に次のようなものがあります。

《 先生、

  ぼくは、お母ちゃんのおちちを見たら、

  すぐにさわりとうなるんや。

  ぼくがさわりにいったら、お母ちゃんが

  おこるねん。

  なんじゃろな、このきもち。》


 二年生の子どもでも、母親をさわりたいと思っているのです。お乳だけでなく、母親の背中にくらいついたり、母親の手を握ったりしたいのです。

 ところが、母親の方は、
「あっちに行きなさい。そんなことしてたら、みんなに笑われるよ」

 などと言って、子どもを追い払ってしまいます。

 もしもお宅に、小学校六年生や中学生、高校生のお子さんがいらっしゃったら、一度試してみてください。そのお子さんに向かって、
「いっぺん抱いてあげようか」

 と、おっしゃってごらんなさい。それを聞いて子どもはどうするでしょうか。多分、
「いいよ。いらんよ」

 と言って、あなたに抱かれようとはしないと思います。

 あなたがお産みになった子どもなんですよ。あなたがかわいくて、かわいくて、しようがないお子さんですよ。長い間育ててきたお子さんなんです。それなのに、あなたが抱くというのに、「いらん」と言うのです。

 子どもは産んで十年間だけ、母親に抱かれようとするのです。それから後は抱かれようとはしないのです。ですから、十年間は子どもを抱いて、抱いて育てることが必要だと思います。そのかわり、「抱かれたくない」という年になったら、親は子どもの後を追わないことです。これが「親ばなれ」であり、「子ばなれ」だと思います。

子どもを信じてゆったり構えよう


 よく家庭で見ることですが、子どもが高校受験などで、夜おそくまで勉強していることがあります。そのようなとき、母親がお茶やお菓子をつくって、勉強しているところに持っていって、
「よう頑張ってるね。でも、わかってるの?」

 などと、いらん事を言います。私はこういうことをするのが、親心だとは思わないのです。子どもが夜おそくまで勉強しているとき、台所で、あなたも起きていて、編物をしたり、本を読んだりしていてほしいと思います。勉強につかれて、子どもが台所に来て、
「あれ、お母さん、起きていたの」
「ああ、ちょっと読みたい本があったのよ」
「そう。冷たいもの、飲もうかな」
「ちょうど、冷蔵庫に入ってるわ。それから、ケーキも入れてあるから、たべたら」

 子どものためにちゃんと用意をしておいてやる心くばり ―― これが親心であり、子どもとのふれあいだと思うのです。

 Iさんの手紙の続きです。

《そのような母が、たまに叱ったときは、口数が少ないのに、私の心の奥底にしみわたりました。今まで母親に叱られた数は少ないのですが、叱られたあの印象は消えません。私は今でも思い出すのですが、母が叱っているとき、母自身悲しい顔をしていました。あの顔は忘れられません。》


 母親が叱りながら、悲しい顔をしていたということは、大事なことだと思うとともに、叱られていた子どもがそれを感じたというのも大事なことです。
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