「揣摩の術」で相手の腹を読む
日本人とちがって中国人は腹で思っていることをなかなか表情に表わさない。商売で二年ほど中国に滞在してきた友人がつくづく嘆いていた。「中国人というのは、腹でなにを思っているか、表情からはまったく読めませんでした」と。これは、今に始まったことではなく、昔からそうであったらしい。
「喜怒ヲ色ニ形ワサズ」
ということばが人物評の褒めことばであることからも分かるだろう。
では、なぜ「喜怒ヲ色ニ形ワサズ」がよしとされるのか。バカ正直に腹のなかをさらけ出せば、政敵や商売敵に足もとをすくわれる恐れがあるからである。逆に言えば、激しい生存競争のなかを生き残るためには、できるだけ自分の腹はかくしておいて、相手の腹のなかをさぐり出さなければならない。これは乱の時代のリーダーにとって必要不可欠な能力である。
むかし、中国に蘇秦という説客がいた。説客というのは、諸国の王や重臣に遊説して政策や戦略を献言し、自分の売り込みをはかった連中のことである。現代のセールスマンや経営コンサルタントに近い。うまく売り込みに成功すれば、大臣、宰相に登用されることも夢ではなかった。
さて、蘇秦である。若いころ、遊説術を学んだかれは、大臣、宰相の夢をいだいて遊説の旅に出たが、さっぱり芽が出ない。軍資金を使いはたし、尾羽打ち枯らした姿で故郷に帰ってきたかれを見て、兄嫁がバカにした。
「遊説なんてバカなことはおよしなさい。今日からは心をいれかえて、まじめに百姓仕事に励んだらどうなの」
このことばに発憤した蘇秦は、それからというもの、わき目もふらずに研究に打ち込み、ついに一年後、「揣摩の術」をあみ出した。そして、この術をひっさげて再度、遊説の旅に出たところ、こんどは行く先々で成功をおさめ、六ヵ国の宰相を兼ねる大物政治家にのしあがった。
蘇秦のあみ出した「揣摩の術」とは、揣摩憶測の揣摩であり、表情や態度を観察して相手の腹を読む、一種の読心術のようなものであったらしい。
相手の腹がわかりさえすれば、それにあわせてこちらの話すことを調整すればよいわけだから、相手に気に入ってもらえる可能性はきわめて高い。