Jos
Mourinho
力を最大限に引き出す「休ませない技術」
一九六三年 一月二六日、ポルトガル生まれ
体育教師をしながらポルトガル三部のクラブでプレー
スポルティング・リスボンやポルト、バルセロナなどで通訳、コーチをつとめる
二〇〇〇年 ベンフィカ監督に就任するが三カ月で解任
二〇〇一年 ウニオン・レイリア監督としてクラブ史上最高のリーグ四位を達成
二〇〇二年 ポルト監督に就任
〇二‐〇三年にUEFA杯優勝を含む三冠を達成
〇三‐〇四年にリーグ二連覇とCL優勝を達成
二〇〇四年 チェルシー監督に就任
三年間でプレミア二連覇、リーグ杯制覇、FA杯制覇を達成
二〇〇七年 経営陣と対立し退団
二〇〇八年 インテル監督に就任
〇九‐一〇年にイタリア史上初の三冠を達成
二〇一〇年 レアル・マドリード監督に就任
一〇‐一一年に国王杯を制する
一一‐一二年にリーグ優勝を果たす
一二六〇分間勝ち続けたことを讚える。
ジョゼ・モウリーニョは、世界で最も注目される名将の一人だ。プレミアリーグ(イングランドの最上位リーグ)の名門チェルシー、セリエA(イタリアの最上位リーグ)の強豪インテル・ミラノ、UEFA(欧州サッカー連盟)チャンピオンズリーグ最多優勝を誇るスペインのレアル・マドリードと、名だたるクラブの監督として輝かしい実績を残している。
モウリーニョは、サッカー選手で監督もつとめた父フェリックスの影響もあり、幼い頃から母国ポルトガルでサッカーを始めた。だが、一五歳で選手としての限界を感じ、首都リスボンで体育大学に進む。そして、体育教師をしながら地元でジュニアチームのコーチを担当した。
当時のジュニア世代には、二〇〇一年にFIFA(国際サッカー連盟)最優秀選手になるフィーゴや、ルイ・コスタといった、のちに「黄金世代」と呼ばれるすごい選手がひしめいていた。
その中でモウリーニョのチームは、なんと一四連勝を達成している。フィーゴたちを擁する強敵を相手に「勝つのは無理」と尻込みする選手たちを、「お前らは勝つ。こうやれば勝てるんだ」と励まし続け、いつの間にか「俺たちは勝てるんだ」と信じ込ませる名人だったという。
連勝が途切れると、落ち込む選手たちに、こんな言葉を刻んだメダルを渡した。
「トータル一二六〇分間勝ち続けたことを讚える」
たとえ負けても、責任を選手に押しつけない。「がんばりは俺が見ているぞ」ということを言葉と態度できちんと示す。そんなモウリーニョの姿勢が端的に表れたメダルだった。
それは選手たちにとって最高のプレゼントになった。
二〇一一年一月、モウリーニョはFIFA最優秀監督賞を受賞している。
二位という結果は特筆するに値しない。
体育教師だったモウリーニョは、ポルトガルのエストレラ・アマドーラ、スポルティング・リスボン、ポルト、スペインの強豪バルセロナといったクラブで、アシスタントコーチとして指導者の道を歩む。
二〇〇〇年にはポルトガルのビッグクラブ、ベンフィカの監督に就任している。ここは九試合で解任されたものの、翌二〇〇一年にはポルトガルのウニオン・レイリアの監督に就任し、チーム史上最高の四位に引き上げた。