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それでも君は大学へ行くのか
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ルポ・エッセイ
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chapter 1 こんな学生はいらない!

『それでも君は大学へ行くのか』
[著]吉村作治 [発行]PHP研究所


読了目安時間:30分
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だまれ! 学生!

 

 今大学でいちばん大きな問題になっているのは、情けないことに授業中の私語である。これは早稲田大学だけではなく、どこの大学でも多いようだ。教員が集まって話すことのなかでも多い話題がこれで、「最近の学生は、ざわざわしてしようがない」ということになる。

 そのために、大学のなかには私語対策委員会というのができている。われわれ教員が、学生の私語への対策を考えるというのもおかしなものだ。前代未聞といっていいだろう。しかし、今日本の大学では私語対策委員会をつくって対策を考えたり、極端なところでは私語禁止令を出しているところもある。
「大学時報」という専門の新聞だけでなく、一般紙の「朝日新聞」や「読売新聞」などでもこのことを取り上げていた。亜細亜大学では、私語追放運動を行なうため、職員や教員が授業を見回っていると聞く。

 どうして私語が多いのか学生にアンケートをとったことがあるが、学生の言い分は「授業がつまらない」「教師の話がつまらない」に集約される。いつの世でも若い人というのは自己弁護をするのだが、この回答の中に大きな問題がある。

 つまり大学教育というものはおもしろくあるべきか、ということだ。まず学生はなんのために大学にきているのかと問いたい。その第一は知識を得るためのはずである。また、教授たちの学問に対する姿勢や情熱を学びにきているはずだ。それが人格形成につながるのだ。それこそ大学教育の基本だろう。そしてそれが自分の将来の進路、すなわち人生を形づくる。ところが、今の学生はおもしろい授業を聴きに大学にやってくるという。それならテレビや寄席、イベントなどに行けばいいわけで、大学で教えることが学生にとっておもしろいかどうかをわれわれ教員が考える必要はない。そもそも、ここでいう「おもしろい」とは興味深いという意味でなく、単におかしいという意味なのだ。

 実際、大学にはおもしろい教授もいれば、つまらない教授もいる。だからといって、おもしろくなくてはいけないという論は立つはずもなく、おもしろいか否かはその教授のキャラクターであって、教えている内容には無関係である。教授の生まれつきの性格なのだということを認識しなければいけない。また、おもしろい授業が学生にとって役に立つかどうか、すなわち学生が大学に勉強にくる主目的にかなっているかとも無関係なのである。

 たしかに私が学生のころも、つまらなくてつまらなくて、眠くなってしまう授業も多かった。そしてあの先生はつまらないから出るのをよそうと皆で決め、授業を休んだこともままあった。しかし、授業に出てつまらないからとおしゃべりするような学生はほとんどいなかった。つまらない授業だからといって出なければ単位を落とす。そして次の年、またもやつまらない授業をとらなければならないというお仕置を受けるわけで、結局同じことになる。

 二年も三年もすれば、多少つまらなくても我慢して授業に出席し、その単位をとらなければ卒業できないということに気がつき我慢するようになる。そして大学の四年間の教育のなかで、つまらないことでもつらいことでも我慢しなければならないことがあるということを知るわけだ。これも大学教育のうちのひとつなのである。

 もちろんおもしろい授業には多くの学生が集まり、なかには抽選しないと、講義をとれないものもある。学生が集まらない科目を持っている教授を哀れみの目で見たりする不届きな学生もいる。「あの先生、人気ないんだよなあ」と陰口をたたき、あたかもその教授の学問的価値まで(おとし)めるようにいいふらすのである。

 しかし教員の側から見れば、学生は大勢くればいいというものではない。むしろ大勢押しかけてこないほうがいい。そこが、学生の考えと教員の考えの根本的な違いになっている。われわれは人気商売ではないのに、世の中なんでも人気が第一と考えている学生はそんな目で教授を見るし、教授がそう反応していると思っている。私もテレビや雑誌でおもしろおかしくモノをいうものだから、授業もそうだろうと思って出席する学生がいる。しかし、いざ授業が始まると「つまらない」といい出し、まじめにやっていることを「サギ師」などという学生もいるのだ。しかし、つまらない授業を我慢して実になるか実にならないか、それは結果論であって、学生が授業をとるというところの動機となってはならない、というのが私の考えだ。

 ところが私語対策の集まりで、「自分はどうも話下手で学生を引っ張っていけない。学生の興味をそそれない。だからたいへん学生に申し訳ない」なんて、自己反省をしている教員もいるが、私はこれは違うと思う。

 そういう気持ちで学生に接すると学生にとっては思うツボで、つまらない授業は困る、といった主張を強く押し出してくるからだ。本当にモノがわかって主張する学生は少なく、そのときの気持ちやムードの流れに迎合するものが多いからである。というのも、大部分の新入生はただひたすら大学人試合格のためだけに勉強してきたので、大学教育とは何かということを考えたり知ったりする機会がなかったのだ。これが最大の悲劇である。大学教育というのはいったいどういうことかを大学に入る前にオリエンテーションするか、入学後半年はそれにあてるべきであろう。これは非常に残念なのだが、新入生は大学での教育のあり方を全く知らないのである。

 学生は入学前の三年間や六年間は受験に勝つことのみに集中して生きてきた、基本的には戦士なのだ。
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