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(2021/11/26 追記)

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歌藝の天地
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ルポ・エッセイ
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第三章 お客様は永遠に神様です

『歌藝の天地』
[著]三波春夫 [発行]PHP研究所


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なぜ神様なのか

 

 

 
「お客様は神様です」の発端
「お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明がつかない。

 皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。

 先日は、我が愚息の結婚式で、「花嫁様は女神様」などというご挨拶まであって、いやはやどうにも賑やかなこと。そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。

 しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉が流行ったのではないだろうか?

 私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実(ほんと)の藝は出来ない――と、私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。

 つまり、浪花節の台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである。

 われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。

 お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。

 あれはたしか、昭和三十六年の春ころ、ある地方都市の学校の体育館だった。司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。
「どうですか、三波座長。お客様のこの熱気、嬉しいですね」
「まったくです。僕はさっきから悔やんでいます」
「!?」
「こんないいところ(、、、、、)へ、何故もっと早く来なかったんだろう、と」

 ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。すると、宮尾君はたたみかけて、
「三波さんは、お客様をどう思いますか?」
「うーむ、お客様は神様だと思いますね」

 ウワーッと客席が歓声の津波! 私もはっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、
「カミサマですか?」
「そうです」
「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神……」

 客席は一層の笑いの渦。その翌日から、毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから、司会者としても一流。漫談もうまい。

 こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹が舞台を見て、おおいに流行らせたのである。

 
お客様は個性が豊か

 日本人論が盛んで、外国人が書いた日本人論に神経を尖らすのを見ると、日本人はやっぱり「島国人」なんだなあと、私は思ってしまう。これによって大きな反省材料を得るというなら話は別だけれど、どうもそうではなくて、チマチマした感情で、怒ってみたり、ニヤついてみたりするのはあまり好きではない。

 たとえば、私はこんな質問を受けることが多い。
「三波さん、この土地は初めてですか? 公演なさって、この土地の人々をどう思いますか?」

 尋ねるほうも、そんなに重大な意味があるようにも見えないので、私は必ず、
「素晴らしいですよ! お客様のこの熱気。それに、しみじみと歌を聴いて下さいます。拍手も力強いですしね」

 と、答える。歌好きの人は、そこの土地の人々だけではない。近くの町や村からも、その会場へと足を運んでくるお客様もおられるのだから……。そして私は、人間の楽しみを運ぶ役目だから、発言には特に気をつけているつもりである。そうして、私が全国各地を公演していると、私なりのお客様の姿が見えてくる。

 いくつかの町のお客様の思い出を、ここで記してみよう。

 まず名古屋。ここは日本のヘソに当たるところで企業も一流どころが揃い、文化、経済の最重要地点。信長、秀吉、家康は、いずれもこの愛知県の出身というのもなにか分かる気がしてくる。その昔、東京の藝人も大阪の藝人も、この名古屋まで来て、回れ右して帰っていった。めったに、東京から西へ旅して名古屋を越えて大阪には入ることはなかったのである。名古屋が両地方の藝人の集まるところだった。まさに東西藝の要。

 この名古屋近くの町には、ある思い出がある。三河一色(みかわいつしき)という漁師町、私が十七歳のころであった。あんなに怖いところはなかった。浪曲を語って、三分もたたないうちに、お客様に幕を引かれてしまった先輩を見たことがある。その先輩も茫然としていた。私は、十七歳でクリクリ坊主のまだあどけない顔、きっとお客様もかわいそうだと思ってくれたのか蹴られなかった。

 東西の藝の折り返し地帯であったせいか、芝居も語り物も演藝も、すべてに渡ってお客様の目が肥えていたのである。

 だから、名古屋を「藝処(げいどころ)」と言う。この、藝に厳しい目はどこにでもあるけれど、名古屋一帯は特に難しいお客様が多かったといっていい。野次の言葉も、また独特で、
「置きゃーせ!」

 でも、こんな言葉はもう聞けなくなりました。

 
ほんに、あそこは怖いとこ

 この愛知県三河一色を筆頭に、昔、浪花節語りにとって、日本の三大難所とも言うべき場所があった。ほかに、紀州の漁師町と関東では、千葉県浦安。

 もちろんこの他にも、時代によってたくさん各地に、気の荒い、楽屋言葉でいう「せこい」客がいたものである(現在は、もう違っていますが……)。

 私自身の体験では、浦安のお客さんは怖かったというより、厭だった。浦安亭に上がったとき、私は『義士伝、横川勘平』を演ることになった。十七歳になったばかりのころであった。上村五郎という素晴らしい先輩がいて、
「南篠くん、新物では藝の()が掴めない。俺が教えるから、時代物を勉強しなさい」

 毎日のように、口伝で教えてもらい、稽古したが、これを舞台にかけて、大分腹に入って(台本の理解度の深さをいう楽屋言葉)きたころであった。

 仲間の一人に、
「浦安は、新物なんてやったら、すぐ降ろされちゃうぞ。下手すりゃ小便引っ掛けられるよ」

 と、おどかされた。
「小便を?」
「そうなんだ、あそこの客は柄が悪くて(浦安の方ごめんなさい。四十五年前の話です)、この間俺がやったときは、二階から引幕に向かって、『やめとけ! おまえの浪花節はまだ小便臭いぞ!』なんて野次りながら、ジョンジョロ、ジョンジョロとやりやがった」
「?!……」

 私は真っ青になった。でも、出演が決まっているから仕方がない。その日はまだ明るいうちに楽屋入りした。まだ誰もいない客席へ回ってみたら、なるほどあれが小便の跡かしら、引幕がいやに汚い。思わず背筋がゾゾゾ! 楽屋も畳がいやに湿っぽい。
「どうしよう、何を演ろうかなぁ。義士伝は聴かないというし、俺は三尺物は向かないし、軍事物は絶対駄目だろうし、困ったなぁ……」

 とウロウロしているうちに、前座が、
「おはようございます」

 と入ってきた。私より年上の前座である。
「ああ、彼は三尺物をやれるんだなぁ」

 と、羨ましくなった。

 やがて、曲師の姐さんがやってくる。次々と師匠たちもやってくるが、ここでは、前に出た者が蹴られても、舞台に穴を開けないために、早目に乗り込んでくるのである。
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