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「江戸・東京」歴史人物散歩
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歴史
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第15章 芭蕉が愛したあの道この道【目白台】【清澄白河】【千住】

『「江戸・東京」歴史人物散歩』
[著]雲村俊慥 [発行]PHP研究所


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●歓喜と挫折の波に揺られながら

 
「むざんやな(かぶと)の下のきりぎりす」――芭蕉著『おくのほそ道』より――

 ずしんと胸に響く一句である。老将・斎藤実盛(さいとうさねもり)非業(ひごう)の死を加賀国(かがのくに)小松(石川県小松市)の多太(ただ)神社に(もう)でた際、遺された(かぶと)をみつめながら詠み上げたという。

 芭蕉は正保(しょうほう)元年(一六四四)、伊賀国(いがのくに)上野城下(三重県上野市)の赤坂町に生まれ、幼名を金作といった。十九歳のとき、藤堂(とうどう)藩の伊賀付(さむらい)大将、藤堂良精(よしきよ)の嫡子・良忠(よしただ)(俳号は蝉吟(せんぎん))に(つか)え、甚七郎(じんしちろう)と改名している。良忠は貞門(ていもん)派で京に人気の高い北村季吟(きたむらきぎん)に師事していたので、芭蕉もお供をしながら俳諧の道に親しんだ。

 手始めに、「春や来し年や行きけん小晦日(こつごもり)」と吟ずる。俳号は宗房(むねふさ)。季吟がこの句を()めた。寛文(かんぶん)二年(一六六二)は年内の十二月二十九日が立春だったので、「年も越していないのに、春がきてしまった」と(こよみ)の感想を述べたにすぎない。だが、貞門派の祖・松永貞徳(まつながていとく)は俳諧を高尚(こうしょう)な言葉遊びと考えたから、これでよかったのだ。

 

 良忠も二歳年下の家臣がみせる素質を評価した。芭蕉は幸福感にしびれた。ところが良忠が二十五歳でいきなり病没する。悲嘆と絶望。芭蕉は藤堂家をやめた。そして以前よりも季吟を(した)った。二十九歳で自撰集『貝おほひ』を出版、季吟も自著『埋木(うもれぎ)』を贈って、すでに免許皆伝であることを伝えた。

 芭蕉は念願の江戸下向(げこう)を決断した。将軍のお膝許(ひざもと)でも、独自の文化に乏しい新天地だったことに()かれたのだ。当時、大坂で俳諧の自由主義を説く談林(だんりん)派の西山宗因(にしやまそういん)を江戸に迎え、俳句興業を開く。
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