二十九歳のシッダールタ太子は皇位を捨てて出城し、生死の境をさまようような壮絶な苦行に身をさらしたが、六年ののち、苦行は人間の取るべき道ではないという結論に達した。三十五歳の太子は苦行林を出て、ブッダガヤの菩提樹下で深い禅定に入り、ついに人類史上未曾有の「正覚」(悟り)を成就して「仏陀」となった。仏教はこの仏陀の正覚に基づいて始まった。それはあまりにも「人間的」な自覚であり、神秘家の宗教体験というようなものではなかった。
仏陀はこの世界のあらゆる存在に内在する「縁起の法」を突き止めたのだ。この法(原理)以外のいかなるものも、根拠律としないのが「仏の教え」の特色である。
仏陀は「正覚」によって、一切の苦しみは縁起の法に対する人間の無知(「根本無明」)によるものと断定した。これが「十二因縁の観察」と呼ばれる正覚の内容である。仏陀はこの正覚の内容(自内証)を、四十五年のあいだ人々のために、説いて、説いて、説き尽くしたのである。その記録がいま「仏教経典」五千四十余巻となって伝えられている。
ところでわれわれは人間としてこの世に生を受け、今ここに生きているということについて、もっと深く思いを致さなければなるまい。そしてまた、遇い難き「仏のことば」をこの自分の耳で聴くことができるということも、深い「仏縁」として歓ばなければならないであろう。
もちろんそれぞれの人には、それぞれの出会い(縁)というものがある。ユダヤ・キリスト教との出会い、イスラム教との出会い、神道との出会いなど。別に宗教でなくてもいいわけだ。マルクスとの出会い、ドストエフスキーとの出会い、漱石との出会い、モーツァルトとの出会い、と多様なものがあろう。
そしてどんな出会いも、その人の人生を深く豊かにしたはずである。お互いはそれを深い「縁」と知るべきであり、「有難き」ことと喜ぶべきではなかろうか。そういう意味で私も膨よかに与えられた「仏縁」を大事にし、日々歓びとして生きている。
正直言って本書のようなものを書かせてもらうことになったのも、また深い仏縁があってのことと思う。さもなければこのようなことは、私自身の夢にも見なかったことだからである。二千五百年前、仏陀が遠くインドにおいて切々と説かれた「ことば」が、いま私にまで届いている。しかも私の生存の、露いなずまの如く短きことを思うにつけ、仏陀と私との出会いの偶然性には、駱駝が針の穴を通る以上のものを感じる。
まして仏陀の金口からほとばしり出た三百六十五句を、吟味しつつ選び出し、わが「事」として咀嚼しなおすというようなことは、誰かに頼まれなければできないことだ。こんなことでもなければ、私は仏陀の教えの多くを知らないまま、死んで地獄に堕ちたことであろう。まさに今に至って仏陀の深い慈悲のまなざしが、私の上にも向けられたという思いがする。
仏陀の三十二相の一つに「広長舌」とあるほど、仏陀は雄弁であった。弟子たちの問いに対する答えの当意即妙なることは言うまでもないが、比喩の採りあげ方にはまた絶妙なるものがある。
ところで説かれた内容は、次のように単純にして明解である。存在は縁によって成り立っている(縁起)。存在するものには実体がない(諸法無我)。すべてのものは変化してやまない(諸行無常)。そういう事実に無知(無明)であると、すべてが苦しみになる(一切皆苦)。だから早く無明から覚めて智慧(正見)を開くことだ。ただそれだけである。本書ではそれらを、一、人間存在の苦悩、二、苦悩克服の方法、三、苦悩から解脱した世界の風景、四、生けるものの慈しみと共存、という四つの視点から考えてみることにしようと思う。
※下に「仏陀のことば」として抽出した各種「現代語訳仏典」の一覧を付して、読者諸氏の便宜としたい。本書の各見出しの「ことば」は、意味内容を損ねないように気をつけながら、私なりに親しみやすい句にしたので、できれば引用経典にも眼を通して頂けたらと思う。
中村元訳『ブッダのことば――スッタニパータ』(岩波文庫、第10刷)→〔「経集」と略記〕数字は経番
仏教伝道協会編『仏教聖典』(第995版、大判)→〔「聖典」と略記〕以降の文献の数字は頁
三井晶史編『昭和新纂国訳大蔵経』経典部第一巻および第九巻→〔「国訳」と略記〕
大正新脩大蔵経刊行会編『大正新脩大蔵経』→〔「大正」と略記〕
長尾雅人編『バラモン経典・原始仏典』(中央公論社、世界の名著1)→〔「名著」と略記〕
梶山雄一他編『ブッダのことばIV』(講談社、原始仏典五・六)→〔「原始仏典」と略記〕
田上太秀著『仏典のことば』上、下(NHK出版、NHKシリーズ)→〔「田上」と略記〕
木村清孝著『華厳経』(筑摩書房、仏教経典選5)→〔「経典選」と略記〕
渡辺宝陽著『ブッダ永遠のいのちを説く』上、下(NHK出版、NHKシリーズ)→〔「渡辺」と略記〕
上村勝彦著『真理の言葉――法句経』(中央公論新社、仏教を生きる5)→〔「上村」と略記〕