赤ちゃんや子どもにも感情がある
「最近泣いていない」――ふと、そんなふうに思ったことはありませんか? 昔はよく泣いたのに。泣かなくなった自分を淋しく思うのは、私だけではないでしょう。それが悲しみの涙でも、淋しさの涙でも、せつなさや感動の涙であっても、涙を流した経験というのは何らかの形で私たちの中に刻まれているものです。たとえ淋しさの涙であっても、通り過ぎてみると豊かさというのか、宝物のような想い出になっているのですから不思議です。
赤ちゃんや子どもがよく泣くのは、誰もが当然のことと受けとめています。赤ちゃんが泣くのは、泣くことしか伝達方法がないからだといわれています。「涙はストレス物質を排出するための生理作用」とすると、「お腹が空いた」「おむつが濡れて気持ち悪い」などの不快感は、赤ちゃんにはストレスと受けとられます。「うわーん」と泣いている赤ちゃんの涙にも、ACTHなどのホルモン値が上がっているのかもしれません。
また、赤ちゃんの立場からいうと、生まれてきたこと自体がストレスになっているともいわれます。快適なお母さんのお腹の中から、いきなり押し出されるわけですから、それはもう突然の苦痛なのです。出生時に「おぎゃー」と大声で泣くのは、そのストレスからなのかもしれません。余談ですが、陣痛が起きるときは、赤ちゃんのホルモンが分泌されて、ゴー・サインが出るときなのだそうです。つまり、身体的には母親との合意のもとというわけです。
同じように、幼い子どももまだまだよく泣きます。転んだり、したいことが思うようにできなくて泣くというのはわかりやすい。しかし、上手に伝えられなかったり、思わぬところで自尊心が傷ついていたり、子ども自身も言葉にすることのできない感情が涙になることもあります。そのような涙に接したとき、大人は「もう大きくなったんだから泣くんじゃありません」「はい、大丈夫だからもう泣かないの

」などと一元的に対応するのではなく、子どもの目を見つめて、その奥にある気持ちを汲み取ってあげることが必要だと思うのです。まだ生まれて数年しか経っていないいたいけな子どもの気持ちに向き合うことは、時に忍耐を必要とすることかもしれません。しかし、子どもの涙に向き合うことで、私たちは自分たちがどこかに置き忘れてきた、または記憶の彼方にしまい込んでしまった純粋な感性に触れることができるかもしれません。