そのままの自分で恋愛しよう
『海を見ていた午後』というユーミンの歌があります。まだ荒井由実の頃の作品で、私は高校から大学にかけて、そして卒業してからもずっと聴いていました。その中に、「あのとき目の前で思いきり泣けたら、今頃二人ここで海を見ていたはず」(作詞・作曲/荒井由実)といったフレーズがあります。このフレーズは、きっと多くの人の心に引っかかったと思います。もう二十年以上前の歌ですが、永く聴かれていることを考えても、ここには恋における普遍的な何かが描かれているようです。
恋人は、私たちにとって特別な存在です。その人といるといちばん好きな自分でいられる。そこに、男と女が心を許し合い、お互いを特別な存在として愛し合う関係の意味があります。性的な欲望を満たすための関係ではありません。そこには精神的な交歓があり、本人たちにしかわからない空気感があるのです。愛する人が、自分を愛してくれている。息が触れ合う場所にいる。その喜びは、心を満たしていきます。性的な喜びも、精神的な喜びが高じて感覚化されたものではないかと思うのです。
ですから、恋人には自分のすべてを知ってほしいと思うのが自然だし、受けとめてほしいと願うのも無理のないことです。こちらとしても、相手のすべてを知りたい。それこそ気持ちが盛り上がっているときは、今この瞬間、彼が何をしているのかということさえ知りたいと思う。恋は、内面に隠し持っていたエゴをむき出しにします。
しかし、恋人の前で自分をさらけ出せる人がいる一方で、逆にうまく自分を出せない人もいます。もっと優しくしたいのに、できない。