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流行の言説・不易の思想 ベストセラー書評社会学
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ルポ・エッセイ
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第四部 「会社人間」からの逃走

『流行の言説・不易の思想 ベストセラー書評社会学』
[著]井尻千男 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間46分
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・第八章・
国際化時代の基礎科目・アメリカとソ連



「闇の中の怪物」を見た日本人の心理劇

KGB』

(フリーマントル著、新潮社)


日本人の微妙な心理劇


 フリーマントルの『KGB』が静かに読みつがれているようだ。昨年の九月二十五日に刊行されて以来、すでに四カ月たつが、今こうしてベストセラー・リスト(ノン・フィクション系)の二位にランクされている姿をみると、そこにこの半年ぐらいのあいだに起った日本人の微妙な心理劇が読みとれるような気がする。


 一九八二年十一月にブレジネフが死んだ。ポスト・ブレジネフは誰か。最高指導者の死後かならず演じられるクレムリンの政治劇に世界が注目する。


 前KGB(秘密警察)長官アンドロポフが、書記長、最高幹部会議長(国家元首)、国防会議議長の三職を兼任してクレムリンのドンになったのは、八三年六月だった。わずか半年でクレムリンの政治劇は終ってしまった。多くの人々は、スターリンの死後、同じ秘密警察長官だったベリヤが演じた死闘を想い出しながら、彗星のごとく現われて、たちまち最高権力を奪取してしまったアンドロポフの異能力に驚いた。


 人々は、そういうアンドロポフを生んだKGBとは何か、そういえば、フランス政府はソ連の外交官ら四十七人をスパイ容疑で国外に追放したし、国内ではレフチェンコ問題がまだ未解決のままでくすぶっているが、それら一連の事件の大本にあるKGBとは何か、ということに関心をいだかざるをえなかった。


 それに加えて九月一日には、大韓航空機がサハリン上空でソ連空軍機に撃墜された。そしてこの事件は、極東における軍事情勢のきびしさをあらためてクローズアップした。ソ連艦隊の充実ぶりとSS20のシベリア配備、北方領土問題の重要性などを含めて、泰平の逸民を脅かすには十分な事件だった。


無惨なことを軽快に


 そういう心理状況のときに、この本が公刊された。著者のブライアン・フリーマントルはジャーナリスト出身の作家として、すでに日本の読者にも知られている。


 秘密警察という闇の中の怪物を、フリーマントルはスパイ小説で鍛えた才筆にのせて、軽快なテンポで描いている。その軽快さは訳者新庄哲夫氏のよくこなれた文章に負うところ大である。たとえば、こんな具合である。


 ──レーニンは恐怖政治の信奉者であり、一七九〇年のフランス革命で最も過激だったジャコバン党員を熱烈に讃美した。ベーチェーカー(KGBの原型)設置の決議案が提出される前の日、レーニンはその議長に選ばれる人物の必須条件を挙げている。

われわれは信頼するに足るプロレタリアートのジャコバン党員をみつけなければならない」


 ポーランド貴族の出身でありながら、ジェルジンスキーは全員一致で議長に選ばれた。彼はほんの十カ月前の一九一七年三月に、二月革命のおかげでモスクワのブトイルキー監獄から釈放されたばかりであった。一九一二年以来、テロ活動のために科せられた刑期を務めていたのである。彼もいまや四十歳、十一年間を監獄とシベリア追放で、そのうち三年間は重労働ですごしていた。出獄してからは、ボルシェビキを権力の座につける秘密計画に親しく参画していた。


 人物の登場のさせかた、紹介のしかた、話の運びかたなどが実にスムーズで、まさしくスパイ小説でも書くような筆法で、「史上最大のスパイ・マシン」といわれるKGBの内部と手口を描いている。読者によっては、あまりに巧みな語り口に、かえって不満を感じてしまうかもしれない。


 その元祖のKGB長官になったジェルジンスキーは、レーニンの葬儀を取り仕切っている。アンドロポフがブレジネフの葬儀を取り仕切ったように。そしてスターリンとトロツキーの権力闘争においては、ちゃんとスターリンに(くみ)している。一九二六年、四十九歳で死去。


 ついでメンジンスキー、ヤーゴダ、エジョフ、ベリヤが長官になって、スターリン時下の“恐怖政治”を執行していく。この時代に、「控え目に推定して一千万人の生命が奪われた」という。われわれには、政治闘争で一千万人が粛清されたなどといわれても、とうてい想像することができない。この数字を疑う根拠があるわけではなく、ただただ想像を絶するのである。しかし、その政治テロが最高潮に達したといわれる時期の長官エジョフが、「百五十センチにもみたない小男」で、「血に飢えた小人」と呼ばれた、などという記述に出合うと、ほんとうにゾッとしてくるのである。



 ──彼が指揮を取っていたあいだ、一人として安全な者はいなかった。一九三七年には内務人民委員部の要員を三千人、つまり彼の部下までも処刑したのであった。二年も経たないうちに、スターリンは、国内で行なわれた大量殺人について、エジョフほど熟知している者はいないことに気づくようになる。彼を公開裁判にかけるのはすこぶる危険だったため、エジョフはけっきょく三八年十二月に追放されたあと、ヤーゴダが銃殺された監房の隣室で撃ち殺されてしまうのである。



 こうしたエピソードはごろごろしている。しかし、国内編を読んでいるうちはまだいいのだが、国外編になると、なんとも薄気味悪いのである。


 KGBのイギリス政界への浸透工作、ホワイトハウスへの諜報活動、国連を舞台にするスパイ作戦などの章を読み進んでいくと、国際政治の奇々怪々と人間というものの奇々怪々を、ともにうんざりするほど味わわされることになる。なにしろボリス・セドフと名乗るKGB高官は、キッシンジャーまでおおっぴらに口説こうとしたというのだからすごい。対日工作については残念ながら触れていないが、できたらどこかの出版社が、著者フリーマントルを日本に招いて、徹底的に取材してもらって一書をものする企画を立てたらどうだろう。


 最後の数章は、スパイ連絡法とか殺しのテクニック、スパイ兵器などについて記述している。スパイ小説好きにとっては手口の宝庫といったところだ。


 また、強制収容所のこともかなり詳細に書いている。暴行、強姦、拷問、サディズムなどの地獄図、尼僧たちの聖なる抵抗、絶望と過酷な労働を逃れるために自分の肉体を傷つけ、指まで切り落してしまう囚人たち……。細菌兵器研究や超心理学やテレパシーの研究と実験も行われている。おのずと読者はナチス・ドイツのユダヤ人収容所を連想する。本書の最終章もソ連におけるユダヤ人問題である。


 ところで昨年末から、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』が話題になっている。小室直樹氏は『日本の「一九八四年」』(PHP研究所)という新書をかいて、田中角栄氏をスケープ・ゴートにする日本の恐るべき「ニューマ(時代の霊気)」の理不尽な専制ぶりを論じている。オーウェルはソ連・東欧をモデルに、架空の「オセアニア国」の恐怖政治を描いた。今日のソ連と「オセアニア国」の共通点はありすぎるほどある。読者は期せずして、『KGB』と『一九八四年』を重ね合せて読むことになった。


 そして、少なからぬ読者が、振り返って「日本はこれでいいのか」と思ったに違いない。もちろん「幸福すぎて」これでいいのかと思う人もいれば、「人間の恐ろしさをみな忘れてしまって」という人もいれば、「無防備すぎて」と思う人もいるだろう。

(一九八四・三)


アメリカの色、形、匂い

アメリカ素描』

(司馬遼太郎著、読売新聞社)


少数者に注がれる視点


 司馬遼太郎氏が、アメリカを語る。その組み合せだけで、すでに魅力的である。あのアメリカという複雑、多岐、多様な社会を、氏がどう料理してくれるのか。意外なことに、氏にとってアメリカは初体験だという。

アメリカ素描』の表紙のスケッチには「R. Shiba」というサインがある。どこの街角にもありそうなバーに四人の男がいる。中央の二人はなにやら談笑しているようだが、左右の男はひとりである。


 そういうバーの、ごくありふれた一景を、スケッチに描きたくなった司馬氏の心中を思いやりながら、私は読み始めた。


 読み進むうちに、司馬氏が自分のスケッチを表紙にした気分がわかるような気がしてきた。氏の視線はつねに「ナマの人間」に注がれているからである。人間の表情、人々のかもしだす気配に、氏は眼をこらし、耳をすましている。それはどんな街角だっていいのである。人間がいさえすればいいのである。表紙絵になったバーのように──。


 第一部は西のアメリカ、第二部は東のアメリカ、前後四十日ほどの旅行記である。美術館とか博物館とか劇場には一回も足を踏み入れていない。ひたすら人間と、人間を含む風景を眺めている。


 カリフォルニアの司馬氏は、韓国移民、ベトナム難民の街リトル・サイゴンを語り、排日問題の原型を探り、少数民族としてのゲイを語る。もちろんWASP(ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタント)についても語るが、それはむしろ遠景である。氏はいつも、マイノリティー(少数民族)に身を寄せるようにしてものを眺めている。東部へ行けば、ニューヨークはハーレムに強い関心を示す。もちろんヤッピー(専門職をもった都会のカッコいい青年)にも関心を示すが、それ以上に、ジューやアイリッシュに心ひかれている風情である。


 この本の中ほどで、司馬氏はこう記している。

私は少数者の心のなかにこそ「人間」が濃厚に含有されていると思いこんでいる。これはべつだん議論に耐えうるリクツではない。ただそのように若いころから思いこんできただけである。人間は、金銭の損にはいくらでも耐えられるが、他からうけるその所属への侮蔑語にははげしく傷ついてしまう。とくに民族的な少数者というのは無数の傷をうけて生きている。このため個々の「人間」としての比重が、その点に無邪気な多数者よりも重いはずだと信じているのである。そういう癖があるため、アメリカ旅行中、なるべく少数者を通して(自分も少数者になったつもりで)この社会を見ようとしてきた〉(「アフロ・アメリカン」)


 こういう視点は、日本人のとりやすいスタンスであるだけに、一歩間違えると嫌みにもなるところだが、ここでは多民族人工国家アメリカをとらえるための戦略的視点になっている。

私にとっての“白地図”」だったアメリカが、少数民族の一つ一つを塗りつぶすことによって、色のある地図に変っていく、といってよい手法である。


 それにしても、司馬氏のヒューマニティーのキャパシティーは大きい。驚くほど大きいといっていい。


 そのことを痛感したのは、「ゲイ」を語る章においてである。この種の世界については、理屈よりも生理的反応のほうが先行しがちだが、氏の場合は、拒否するでもなく受容するでもなく、しかし、結局は肯定するほかないだろうという感じになる。たとえば氏は、ワデル博士とゲイについて会話をかわす。

私はきいた。ゲイには異性との結婚をする人もすくなくない。同時に同性との交渉をもつ。ひょっとしたら愛情の量がストレート(普通人)よりも多量にうまれついているのではありませんか〉


 私ははっとした。ゲイについてこれだけ好意的な解釈を思いつく能力とは何か、という驚きである。「愛情の量が多量にうまれついている」というところにこだわらざるをえなかった。ワデル博士は否定する。「いや、量としては同じです。ただ、表現の仕方がちがうだけです」と。たんにそれだけのことだと、博士はきっぱりという。そこで私は安心した次第である。


寛大さと感情移入の才


 他愛なく読みとばしてもいいのだが、もう少しこだわっておきたい。司馬氏をゲイの街に案内する日本人女性について、氏はこう記す。

彼女は、ゲイにも愛をもっている。むろん、性的関心ではない。彼女は、この世の人間の半分がそうであるように、ぎらぎらした性欲を持ったうまれつきではない。その稀薄さが性を越えた愛になっているらしい。(略)その気分は、私の家内にも理解できて、当初、淳子さんと二人きりでポーク通り(ゲイ地区の一つ)を歩いたとき、家内はアメリカにきてはじめて他者から危害を加えられるかもしれないという警戒心を解いた。やわらかな空気のなかを歩いている感じで、心地よかったという。ことわっておかねばならないが、淳子さんにも家内にも、その種の()はない〉


 私はこういう文章を読みながら、ふと歴史小説家の秘密をかいま見たような気がしたのである。つまり、好意的解釈と、柔軟にしてすみやかな感情移入の才能がこぼれ落ちている。ことによると氏こそ、「愛情の量が多量にうまれついている」から、あのような膨大な量の歴史小説が書けるのではないか、という仮説を、私は立ててみたくなる。


 氏はニューヨークのハーレムを訪れたときにも、その種の才能が発揮されている。

たとえば不潔という環境に平然としている民族がいたところで、その不潔がために一民族が(かい)(めつ)したという話はきかない。雑菌への免疫など自然に体にそなわるから、不潔も一つの文化にすぎない。しかし潔癖で(かん)(しよう)な民族からみればおぞ気がふるうようにいやだろう。ヨーロッパ人は、清潔好きだった。ドイツ人にいたっては、病原菌の発見(十九世紀後半)以前から病的なほどに潔癖な衛生文化をもっていたし、日本人もきれい好きという点では尋常一様な民族ではない〉


 こうした氏の寛大さが、モザイク国家アメリカのさまざまな色と形と匂いをすくいあげていく。文明論的な解釈という遠景もついているから、読者としてはパノラマがひらけたような爽快感を味わいながら、氏とともに旅をつづけることができる。


 そうした寛大さと柔軟さと、見事な感情移入の才能に富んだ氏が、例外的に語気を強めて非難しているところが一つある。それは、「ベトナム難民の街」の章に出てくる次のような文章である。

人類史上、もっともおろかだったベトナム戦争をふりかえるとき、自分の愚行を、その後アメリカ人たちは反省しつづけている。たとえ反省しない人がいたとしても、あの戦争がもたらしたアメリカ社会の変質や病患については十分みとめている。「他人の国の内臓に手をつっこんだ国は、相手国がもつ政治的風土病に感染してしまう」という勝手な法則を、私は(ひそ)かにたてたことがある。この法則(?)は、昭和初期、日本の軍部というバケモノが、他人の国に満州国という偽帝国をつくったあと、自国に対しても(ぎよう)(そう)を一変させてしまったことについて解釈のつけようもないまま思いついたことである〉


 私としては、こういう文章に出合うと、しばしば立ち止らざるをえない気持になる。歴史を見る目と、現代を見る目の落差を感じる。戦中派の感傷と反省がややストレートに出すぎてはいないかという疑問である。


 とはいえ、そういうヒューマニズムと寛大な相対主義によって、氏は国民的作家になったのである。

(一九八六・六)


実名で書くことの懐かしさ

遠いアメリカ』

(常盤新平著、講談社)


五〇年代後半の東京が蘇る


 この春、直木賞を受けた常盤新平氏の『遠いアメリカ』がベストセラーの二位である。一位の『カディスの赤い星』(逢坂剛著、講談社)も同時受賞の作品である。八重洲ブックセンターに限っていえば、直木賞作家は強い。


 今回は『遠いアメリカ』をとりあげてみたい。この作品におけるアメリカは、情感においては近いが、実際は遥かなる異国なのである。あこがれの人のように近くて遠い。


 主人公重吉は、翻訳家を夢みている青年である。GIたちが日本にもちこんだペイパーバックやファッショナブルな雑誌を読みあさっている。時代は一九五〇年代から六〇年代初頭。舞台は東京。


 重吉は高田馬場駅近くの「ユタ」という喫茶店の常連である。恋人の椙枝は俳優座養成所をこの春卒業したばかりの無名の役者だ。小劇団員で地方公演が多いようだ。


 作品の冒頭、重吉と椙枝は「エリーゼ」という喫茶店で落ち合う。ときは「ザ・ファースト・デイ・オブ・サマー」。椙枝は「クローバー」でババロワを買ってくる。店内にはパティ・ページの「テネシー・ウォルツ」が流れている。「アイスコーヒー」をストローで啜る二人の会話を抄録する。

ねえ、ハンバーガーって知ってる?」

ハンバーグのことなの」

いや、ハンバーガーだ。ゆうべ、探偵小説を読んでいたら、出てきた。どんな食べものだろうと、辞書を引いてみたら、ハンバーグ・ステーキとしか出ていない。どうも、ちがうような気がするんだ」

ハンバーグの間違いじゃないかしら」


 重吉はにきびを気にしている青年であり、椙枝はまだおしゃれに自信がもてない。街には「ルノー」のタクシーが走っている。二人は有楽町の映画館でマリリン・モンローの『七年目の浮気』を観る。また二人の会話を。

マリリン・モンローがとてもよかったわ。不思議な女優さん」

何かで読んだんだけれど、モンローの白いスカートが舞いあがって、下着が見えるシーンは、場所がレキシントン・アヴェニューというんだそうだ」

レキシントン・アヴェニューは五番街から遠いのかしら」


 もちろん五番街がニューヨークのどこにあるのか、二人とも知らない。


 二人が銀座に出たときは「ミカサ」か「牡丹園」か「スイス」で食事をする。今夜は「牡丹園」の冷しそばである。そのあと、「コロンバン」でミルクティーを飲む。


 椙枝は知りあってまもなく重吉に躰をゆるしている。十九歳だった。重吉は初めていっしょに寝たあとの椙枝の顔を忘れない。「急におとなびて、しかもかなしそうに見えたとき、重吉は後悔に似た気持を味わっている」。お茶のあと、二人は「イエナ書店」に立ち寄る。


 こんなふうに紹介していくと、私自身が懐旧の情にひたされる。五〇年代後半の東京がありありと蘇ってくる。店の屋号を正確に書きとめて作品を書くことの面白さを再認識させられた。


いい時期のアメリカ像


 東京の変貌は激しい。あきれるほど速い。きのうまであった店がきょうはない。


 そういう事態を前にして、作家の態度はおおまかにいって二つに分れる。店の名前をいっさい出さないか、「和光」とか「三越本店」のように明瞭なイメージのあるものだけに限定して書き記すかである。ところが常盤新平氏のとった方法は、喫茶店であれ鮨屋であれ、映画や本のタイトルであれ、すべて明記してしまおうということである。


 その方法が、この作品では見事に成功している。極端ないい方をすれば、あのころの東京をほっつき歩いた世代の読者なら、屋号が出てくるだけで妙に懐かしくなるのである。小説を読みながら、もう一つ、自分の青春物語をきれぎれに重ね合せてしまう。たとえば「ミカサ」でも「スイス」でもいい。貧乏学生のころ、彼女と銀ぶらしたあと、食事はきまってあそこだった。懐かしいなあ、ということになる。音楽も映画も探偵小説も、出てくる小道具すべてがそういう効果をもっている。


 私自身のことをいえば、この作品に出てくる店はだいたい知っている。知っているどころか、そのうちのいくつかは、私の青春物語においても欠かせない場所になっているという次第である。


 現在四十代後半から五十代の世代にとって、この小説はなんとも懐かしい。重吉と椙枝がよく待ち合せた「トップ」という喫茶店がある。いくつか支店があったが、宮益坂(渋谷)の店なら、私もあるガールフレンドとの待ち合せはきまってここだった。


 そんなふうにいってみたくなるところに、この作品のベストセラーになるゆえんの一つがある。

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