どこであれ、いつであれ、自分の望む持ち場で存分に力を発揮できたら、こんないい生き方はありません。でも、そういう持ち場が見つかるかどうかの問題の前に、「自分が望む持ち場は何か?」がわからないのが、若い人の、特に大学生の悩みではないでしょうか。
私は、古今東西、この悩みをばしっと解消する特効薬は存在しなかった、と断じようと思います。しかし、それは、自分の将来問題を考えることが、無駄で、無益なものだ、といいたいからではありません。むしろ、特効薬を求める方が有害無益である、といいたいがためです。
大学は、自分の望む持ち場を模索し、発見しようとして、漠然とした形にせよ、その持ち場にふさわしい姿に自分を仕立て上げてゆく最初の実験場所です。この点が、高校までとははっきり異なります。つまり、それまでの自分がゼロになるような仕方で真っ白なキャンバスに自画像を描くことが、大学から可能になるのです。あなた方の人生が曲がりなりにも本格的に始動するのです。
そして、重要だと思えるのは、あなた方が、大学時代に、どのような形を取るにせよ、自分の人生を自分の足で立つという訓練を始めないと、ついに本格的な人生があなた方に始まらない可能性があるということです。これは脅かしでも何でもありません。それほど大学時代は貴重な時期なのです。
しかし、あなた方が目前にしている大学は、ただ与えられたメニューを流し込んでぼーっと通り抜けようと、食卓に着かず朝寝を決め込んでさぼろうと、あなた方を卒業生として遇してくれる場所でもあります。もちろん、大学が自分の望む持ち場を考える場所であるなどと、想像だにできないと映っても仕方ないでしょう。
だから、悩もうと悩むまいと、学ぼうと学ぶまいと、同じように卒業資格が与えられ、社会が同じように遇してくれるなら、イージーゴウイングでいった方が楽だと考える学生が圧倒的に多いのも事実です。しかし、私は、この事実にあぐらをかくのではなく、自分の望む持ち場を大学で探すかどうかで、その後のあなた方の人生が大きく左右されるのだ、もし、楽に行けるとしても、あえてその逆をいってみた方がさらにいい、と強く勧告したいと思います。
大学時代をいい加減に過ごしても、社会に出たらびしっとやればいい、という具合にいかないのがこの世の法則です。というのも、大学は、かなり浮き世離れしたところがありますが、それでも、この世の「縮図」には違いありません。しかも、あなた方がはじめて「大人」として遇される世界です。ここをまともに通過しないと、社会に出て、大人として立てない理由は存分にあるのです。
その上でいえば、大学は、誰の人生にもなくてはならない「モラトリアム」の時代だ、と考えます。肯定的、積極的な意味で、白いキャンバスに自画像を描き始める時代です。あなた方にその自画像を描く意欲をわきたたせる契機を提供したい、それが私の強い望みです。本書が、あなた方の「学問と人生」の案内板として役立つことができれば、これにまさる喜びはありません。
なお、本書が成立するに当たって、編集者の阿達真寿さんと、討論に加わって下さったフリーの編集者の槇野修さんに大きな助力をいただきました。ありがとう。
右の「はじめに」を書いてから、ちょうど五年になります。その間、大学の内外の状況に変化がありました。しかし、変化の基本方向は、本書と同じだ、と思います。今回文庫本化され、より広い読者のみなさんとまみえる機会を与えられて、訂正する必要を感じなかった理由です。
本書で、文庫出版部の犬塚直志さんのお世話になりました。ありがとう。
二〇〇三年三月十三日 白雪残る馬追山で鷲田小彌太