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新装改訂版 いじめに負けない心理学 いじめられずに生きるために気づくべきこと
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教育
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第6章 親が子どもをいじめぬく!?

『新装改訂版 いじめに負けない心理学 いじめられずに生きるために気づくべきこと』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


読了目安時間:26分
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 “母親”という名を借りて子どもにうっぷん晴らしをする女性たち



 ところで、ここで書かれていることは酷すぎる例と思う人がいるかもしれない。そう思う人は幸せな人である。しかしいじめや感情的恐喝は、実際に世の中でいつも行われていることなのである。この世の中ではどうしても食べられる人と食べる人とがいる。「そんな恐ろしいこと」と思うかもしれないが、それが事実である。

 たとえば『悪について』の中でフロムが次のように書いている。息子が母親を恐れることについて書いたあとで、
「この種の多くの恐れは、本来その人の退行的幻想の結果あらわれるものではなくて、現実にその母親が、人喰い人種のような、また吸血鬼のような、あるいはネクロフィラスな人であるという事実がその原因なのである。こういう母親の息子や娘が母親とのきずなを断ち切らずに生長すれば、母親に喰われ、破壊されるという強度の恐怖から逃れるすべがない(注1)」。

 このような母親は憎しみを持っている母親である。たとえば政治的過激集団で次々に仲間をリンチにかけた女性リーダーを考えてみれば、このような女性がわかるだろう。そのような女性は、生きることに憎しみを持っている。生きることが悔しい。そこで子どもをいじめることで自分の感情を晴らしているだけである。こういう母親は人喰い人種に母親という名前を付けただけである。母親という名前を付けるから、恐ろしい人間というイメージが消えてしまう。
「豚ってこんなに汚いから豚って言うのね」と言った子どもの話を、昔本で読んだことがある。母親という言葉自身が持つイメージでその人を見るからおかしくなる。

 実際世の中には本当に恐ろしい親がいるのである。もちろん、私たちが心に描くような優しい親がいることも確かである。しかし残念ながら、そうした優しい親ばかりではない。そのことをしっかりと認識することが、問題の解決にはどうしても必要なのである。

 ヘビやオバケは本能的に恐ろしい。自分に害を加えると感じる。従順な子どもは心の底で親をオバケのように感じているのである。そしてそのオバケが怖いから服従している。そして従順に服従する良い子の悲劇は、そのオバケに「いい人」と思われたいと思って努力することである。この努力は辛いし、成功しない。

 学校でも、いじめられる典型的な子どもは不安で、慎重で、傷つきやすく、大人しいという(注2)。つまり従順な子どもである。ノルウエーやスエーデンで長期に渡って大規模ないじめ調査をしたいじめの研究家のオルウエウスは、このタイプを従順なタイプのいじめられっ子と名づけている(注3)。いじめられる子どもは、家でも学校でも同じように不安で従順だということである。

 学校でいじめっ子にとっていじめやすい子どもというのは、家でも親にとってもいじめやすい子どもなのである。おそらく会社でも同じようにいじめるほうは敵意と支配欲、いじめられるほうは不安からの従順である。

 こういう人は、ヤクザの集団から逃げたが、またヤクザの集団に捕まるようなものである。行く先は常にヤクザ集団なのである。相手を見ないから同じような愛のラッパを吹く人のところに行く。赤ずきんちゃんのように、爪を見てこれはオオカミだと判断できない。

 子どもを脅している母親の顔はオバケである。そして心はヘビのようにしつこい。「そんなことしていると警察の人が来るわよ」と、言うことを聞かない子どもを脅す。そう脅すことで、自分たちを守ってくれる警察を子どもは恐れるようになる。

 優しい親を持って生まれる人もいれば、そうでない人もいる。そしてそうでない人が、さらに深刻な悲劇に陥らないためにも、そうした認識が必要なのである。



 愛を知らない人は人を見分ける能力がない



 この感情的恐喝という概念は、人を喰う人と、人から喰われる人がいることをしっかりと教えてくれるのである。私も本を書き始めてから約四十年もたつ。その間にいろいろな人と出会ったが、感情的恐喝からの被害で苦しめられている人は、想像以上に多いのである。

 そうしてこの感情的恐喝が、親子兄弟とか、夫婦とか、友人、恋人とかそうしたきわめて近いところで行われている。つまり私たちが愛とか、誠実とか、思いやりとか、そうした人間的なものが表現されると信じている関係において行われているのである。

 感情的恐喝は、そうした人間的なものが表現される関係と人々が思っていることを逆手にとった「犯罪」である。親子といえば人々は無私の愛を連想する。しかし現実には、子どもの心を破壊することで自分が生き延びようとする親は珍しくはない。子どもの心を喰い尽くすピラニアのような親は、フロムの言うとおり存在する。
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