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日本人のための第一次世界大戦史(毎日新聞出版) 世界はなぜ戦争に突入したのか
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歴史
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第3章 兵器産業の国際化と戦艦

『日本人のための第一次世界大戦史(毎日新聞出版) 世界はなぜ戦争に突入したのか』
[著]板谷敏彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:27分
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 各国の国民国家意識が醸成されていく一方で、蒸気船や鉄道などによる輸送手段の発達や金本位制による為替リスクの減少は、資本移動や貿易を通じてグローバリゼーションを進展させていきます。兵器産業も国際化され、競争にさらされた技術革新はやがて「戦艦」という特別な軍艦を生み出します。

11話 19世紀のグローバリゼーション

穀物法廃止


 フランス革命の勃発から1815年のナポレオン戦争終焉までの約26年間、イギリスはフランスとほぼ交戦状態にありました。この間、ナポレオンは大陸封鎖令(1806年)を発令して、イギリスと欧州大陸諸国との交易を封じようとしました。当時のイギリスはすでに工業製品の輸出国で農業製品の輸入国だったので、その間にイギリス国内の食料品価格は上昇しました。このため都市労働者や製造業者たちは生活に打撃を受けましたが、農業経営の代表者である地主層の懐は潤っていました。


 しかし、戦争が終結すると食糧の輸入が再開され、穀物価格が下落しはじめました。そこで、社会的な影響力を持つ地主層は、議会に圧力をかけて外国産小麦の輸入を制限する法律を定めさせました。これが農業保護を目的とした1815年の穀物法です。


 こうした既得権益層の動きがある一方で、アダム・スミスの「生産の特化と分業が利益をもたらす」という自由貿易論や、比較優位を原理とするデイヴィッド・リカードの国際貿易論57などが貿易商人たちの間に広がりました。自由貿易こそが大英帝国繁栄のための政策であると、議会に対する啓蒙活動が盛んに行われたのです。


 当時のイギリスは人口の自然増加と、農業など第一次産業から工業など第二次産業への労働人口のシフトによって次第に食糧の自給が困難になりつつありました。また1832年の議会改革によって都市住民に選挙権が広がりをみせると、地主層の権益である穀物法への批判が強まり自由貿易への要求が次第に高まっていきました。


 そうした状況下、1845年にイギリス支配下にあったアイルランドを「じゃがいも飢饉」が襲います。穀物の輸入制限のために深刻な食糧不足に陥り多くの餓死者が出ました。そのためアメリカへの移民が大量に発生すると、翌年1月に、当時の首相ロバート・ピールは議会を動かして穀物法を撤廃したのです58


 当初はこの撤廃によってイギリスの農業は輸入農作物によって衰退すると予想されましたが、現実は、産業革命による化学肥料の発明や農業機械の発達とともに、危機感を抱いた地主層による農業の高度集約化によって、皮肉にもしばらくの間イギリス農業の黄金時代が示現することになりました59


 1849年、さらに議会は1651年以来イギリスの海運業を保護してきた自国船舶優先の航海法も廃止して、重商主義的で中世的な多くの法律を廃止しました。他国に先行して高付加価値な工業製品を生み出すことのできるイギリスにとって、自由貿易は国益にかなう有利な国家戦略だったのです。


コブデン=シュヴァリエ条約


 自由貿易を推しすすめるイギリスは1860年にフランスとの間にコブデン=シュヴァリエ条約(英仏通商条約)を締結して、当時贅沢品とみられたワインとブランデー以外のフランスからの輸入品に対するすべての関税を撤廃します。一方でフランスはイギリスからの繊維製品の輸入禁止を解除して広範囲にわたって平均15パーセントまで税率を引き下げました。引き下げたとはいえ、15パーセントの関税が残ることはイギリスにとって片務的に映りますが、この条約にはお互いの最恵国待遇が含まれており、すでに自らの関税を撤廃して第三国との交渉力を失っていたイギリスに代わって、フランスが窓口となって自由貿易圏を広げる結果となりました。各国がフランスに対して最恵国待遇を望むと、フランスが貿易交渉で譲歩したり獲得する条件はイギリスにも与えられる仕組みです。こうして19世紀後半の欧州では各国間でさまざまな自由貿易に近い通商条約が取り交されました。


 少し古い世界史の知見では、1873年のウィーンとニューヨークの金融恐慌に端を発する「大不況」以降に各国が保護主義に方針を変えて、帝国主義の下に植民地を囲い込み、それが原因で第一次世界大戦に至ったという見解も見られました。しかし世界貿易額のグラフを見る限り貿易量は20世紀に入って加速しています60。さらに各国の植民地向けの貿易も対外投資額も、先進国同士の貿易と比べて多いわけではなく、帝国主義による囲い込みの実態を数値によって説明することは困難です。第一次世界大戦直前のドイツは、自国の植民地との貿易額よりも、イギリスの植民地であるインド単体との貿易額の方が多かったのです。

金本位制


 永らく金と銀の比価(交換比率)は、金1に対して6倍の重量の銀が必要でした。16世紀に入り、新大陸のスペイン植民地から大量の銀がヨーロッパに持ち込まれると銀の金に対する相対的な価値が下落して金銀比価は欧州で1:1516程度になりました。

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