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やさしい人 どんな心の持ち主か
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生き方・教養
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一、心を見る

『やさしい人 どんな心の持ち主か』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


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 「元気な孝子ちゃん」の辛さ
「やさしい人」というときの基準が問題である。

 まず、やさしい人というときの前提がある。

 それは、プロローグでもふれたが、心を見るということである。

 では、心を見るとはどういうことか?


 心を見ない母親。

 学校で「元気な孝子ちゃん」と言われている子がいた。

 彼女は自分は元気でなければいけないと思って、いつも元気にしていた。

 でも、いつも元気にしていることは(つら)かった。

 だから、一人でトイレで泣いた。

 学校で残されてから家に帰る。

 でも、騒いで家に帰る。
「元気な孝子ちゃん」と言われているから、イヤでもしかたなく元気に帰る。

 すると親は、「学校で残されたのに、この子は無神経」と言う。


 やさしい母親は子供の心を見る。

 子供が、「お腹が()いた」と言う。

 言葉どおり解釈する母親がいる。

 でも、子供は母親に甘えているだけのときもある。

 子供が、「食べたくない」と言う。

 言葉どおり解釈する母親がいる。

 でも、子供は不満をぶつけているときもある。


 やさしくない妻。
「入院している夫が帰っていいと言ったから帰る」と言う妻。

 言葉は「帰っていい」だが、心を見れば帰ってほしくないということがある。

 心を見る人がやさしい人である。


 言い争いをした後で、恋人が怒って「電話はいらないわ」と言ったとする。

 すると、それを()に受ける。

 後で恋人が、「電話をくれなかった」とすねると、「だって、電話はいらないって言ったじゃないか」と怒る男がいる。

 どういう状況でその言葉が言われたかをまったく考えないで、言葉をそのままにうけとる。

 こういう人は、心のふれあいが難しい。

 相手が「怒っていない」と言っても、怒っているときもある。


 なぜそれを言ったか。

 (さび)しいから言った、

 無視されたくないから言った、

 好かれるために言った、

 (だま)そうとして言った、

 女の涙。

 それを言う動機を考える。

 それがやさしさ。

 

 礼儀正しさの裏に隠された憎しみ
「あの人はどういう人間か」というときに、もっとも大切になってくるのが、やさしさである。

 しかし、やさしさとは何かについて、新聞雑誌などでは、あまり真剣な議論がされていない。

 経済的に活気のあったバブル期の新聞を見てみる。

 中学二年生が両親と祖母を刺し殺した事件が載っている。

 少年は、早朝、両親を庖丁でめった刺しにした。

 何を使うかに心が表れる。庖丁を使ったということは憎しみである。

 例によって、「礼儀正しい子と近所では評判」と書かれる。おきまりの記事である。
外目(そとめ)には家族とも仲が良く、父親ともキャッチボールをして遊んでいたこともしばしば(註2)」
「近所の主婦は『あんなに礼儀正しい子が……。私が通りかかると、こんにちはと声をかけてくれるような子だったのに(註3)』」

 どの新聞社も、このような書き方にしなければ記事ではないと思っているのだろうか。

 記事は何十年も同じパターン。

 この子をどう解釈したらいいのか。

 まず、言うことを聞く子とやさしい子とは違う、ということがわかっていない。

 この子は、目的もなく従順であったのだろう。

 礼儀正しさは、憎しみが外に表れるのを防ぐため。

 礼儀正しさの裏に憎しみが隠されていることに、近所の人は気がつかない。
「こんにちは」という挨拶(あいさつ)は、ふれあいの言葉ではなかったのだろう。

 コミュニケーションとしての挨拶ではなく、気に入ってもらうための挨拶だったのだろう。

 同じ素直でも、満たされて素直になるのと、(こわ)くて言うことを聞く素直な「良い子」になるのとではまったく違う。

 心を見ないと、満足しているから素直になる子と、怖いから言うことを聞く子の二人を同じに見てしまう。

 

 心に秘めたやさしさ

 和子ちゃんは、4Bの鉛筆が短くなるまで使っている。他の鉛筆は長い。

 先生が和子ちゃんの筆箱を見て言った。
「長い鉛筆を使えばいいじゃない」

 それでもその子は、「私はこのほうが楽なの」と言って、他の鉛筆を使おうとしない。

 最後にその子は、「長いのは使いたくない、この短いのは先生にもらったの」とポロッと言った。

 自分のやさしさを先生に売り込む気なら、初めから、「これね、先生にもらったの」と言うはずである。

 ここにその子の、表現しない心のやさしさがある。

 その子が売り込みをしないで、先生もその子に関心がないなら、そのやさしさに気がつかない。

 言葉はあっさり、表現はあっさりしているけれど、心に秘めたやさしさがある。

 それは、両方が関心を持たないと、見えないやさしさかもしれない。

 その子は、自分の中で納得している。それでいいと思っている。

 そういうやさしさもある。

 こういうやさしさは、近所で「礼儀正しい子」と評判にはならないだろう。
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