なんだか不幸になっていく
自分は自転車に乗って、子供は走っている。
そして母親は、「頑張ってね」「明日一番とってね」「もう一周頑張りましょう」と言っている。
そして一番にならないときは、「あれほどお母さんが頑張ったのにねー」と子供に言う。
「僕も頑張ったんだけど」と子供は感じるが、何も言えない。
「お母さんは『あなたのために』と言うけれど、なんだか変だ」と子供は感じる。
やさしさにも、「やさしいけれど、なんだか変だ」というやさしさがたくさんある。
そういう「やさしさ」に接していると、うまくいくはずなのに、「なんだかうまくいかない」。
幸せになるはずなのに、「なんだか不幸になっていく」。
要するに、「なんだか変」なのである。
たとえば、同情。
「そうだよね、ひどい人だね」と言葉だけ。相手はしばらくすると、言ったことを忘れている。
そういう人でも、いないと淋しいからつきあう。そこで、なんとなく不愉快な気持ちになる。
そういう人は、たとえば、見える好意をする。
ビールをおごってくれる。親切な言葉をかけてくれる。
やさしさを売り込む人は、たいてい騙す人である。
子育てで疲れている。