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やさしい人 どんな心の持ち主か
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生き方・教養
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三、現実感覚を喪失したやさしさ

『やさしい人 どんな心の持ち主か』
[著]加藤諦三 [発行]PHP研究所


読了目安時間:16分
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 人類を愛することは簡単だが、隣人を愛することは難しい
「人類を愛する人」とはつきあわないこと。

 愛を(とな)えている人は、必ずしもやさしい人ではない。

 たいていは残虐で冷たい人であることのほうが多い。

 カルト集団などが社会的な問題を起こすと、彼らの「現実感覚がおかしい」とか、「現実感覚がない」とか、「現実感覚が(ゆが)んでいる」とか言われる。

 この現実感覚が希薄なのは、周囲の人とコミュニケーションできていないからである。

 現実感覚の希薄さは、人とふれあえないというところから来ている。

 たとえば、「愛する」という言葉を使うときに、現実感覚の希薄な人と現実感覚のある人とでは違う。

 現実感覚の希薄な人は、「私は人類を愛する」という正義の言葉を言う。

 しかし、現実感覚が希薄だから隣人は愛せない。

 若いころ、「人類を愛することは簡単だけれど、隣人を愛することは難しい」と書いてあるのを読んで、「いい言葉だな」と思った。

 コミュニケーションできない人は、「人類を愛する」のである。

 しかし、決して隣人は愛さない。いや、隣人を愛する能力はない。
「人類を愛する人」は冷たいが、「隣人を愛する人」はやさしい。

 そうした意味で、「人類を愛する人」は、「生きる」ことを学ぶ前に理屈を学んでしまったのである。

 現実の世界で生きていないから、現実に人を愛する経験がない。

 人は経験で賢くなっていくのだ。

 ところが、経験がないと、物事をすべて頭の中で、「いいこと」「悪いこと」の善悪で判断してしまう。

 コミュニケーションできない人の手紙を読んでいると、そこには「悲しみ」がない。

 現実のドロドロしたものがないのである。

 あるのは、頭で考えた教えられた言葉としての「悲しみ」で、体験としての「悲しみ」ではない。

 そして、私は「こうした」がない。

 あるのは、私は「こうされた」である。

 父親がこう言った、母親がこう言ったと書いてあって、自分は「こうした」がない。
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