日本が住みやすい国になるためには、経済成長も大切であろうが、それよりもはるかに大切なのは、日本人がもっとやさしくなることである。
そしてそれは、経済成長よりもはるかに難しいことである。
経済的に繁栄しても、人々がやさしくなければ、住みにくい国であるということは自明である。
どうしてこのことがもっと理解されないのであろう。
これが理解できない限り、日本が世界の中で尊ばれることはない。
経済的に繁栄しても、憲法九条があって平和を唱えても、国連の常任理事国になっても、世界の人々から重んじられることはない。
今の日本は、経済的に貧しいことが大変なことのように考えている。
しかし、本当の貧乏とは何だろう。
ほんとうに貧乏な人とは、好きなものがない人。
ほんとうに貧乏な人とは、「楽しいもの」がない人。
「楽しいもの」がないから人の批判が怖い。
怖いから逆に人を批判する。
家がなくても、好きなものがあれば貧乏ではない。
頭脳の海外流出が話題になるが、もっと恐ろしいのはやさしい人の海外流出である。
たとえば、やさしい日本女性が、経済的繁栄がものすごいことのように錯覚している日本の男性に見切りをつけて、外国に行き出したらどうなるか。
頭脳の海外流出どころの騒ぎではない。
私はすでにそういう女性を知っている。
やさしい日本女性が、そうした浅ましい日本のエリートに心が惹かれないのである。
また逆に、やさしい日本男性が、「日本の女はずるいからイヤだ」と言って外国の女性と結婚する。
私たちは頑張って努力している。
でも、もうそろそろ意味のない無駄な努力をやめるときに来ているのではないだろうか。
先に出版した、『「日本型うつ病社会」の構造』(PHP研究所)で、国の努力の方向が間違っているのではないかという私の考えを書かせてもらった。
『「日本型うつ病社会」の構造』に続いて、この本では私たち日本人の個人としての努力の方向性を問題にした。
この本も、大久保龍也氏にお世話になった。いつものように適切なアドヴァイスをもらいながら書き終えることができた。紙面を借りて感謝をしたい。
二〇〇四年 十一月
加藤諦三