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(2021/11/26 追記)

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JACKSON マイケル・ジャクソンと踊った唯一の日本人ダンサーの物語
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エンタメ
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第5章 どこにでもいる普通の子ども

『JACKSON マイケル・ジャクソンと踊った唯一の日本人ダンサーの物語』
[著]ユーコ・スミダ・ジャクソン [発行]PHP研究所


読了目安時間:25分
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身体能力命


 一九六六年八月五日、六歳と二歳の姉に続き三姉妹の末っ子として、熊本市の白山町という市街地で私は生まれた。

 両親はそれぞれ、事業を展開していた。父は社員三〇名ほどを擁する電気工事の会社を、母は三つの美容院を経営していた。私が生まれたばかりの頃はまだ、父はタクシーの運転手だったそうだが、私にはその記憶はない。

 両親の事業は、スタートからスムーズというわけではなかったが、だんだんと仕事が軌道に乗っていったのだろう。私たち姉妹は、何不自由なく育ててもらえたと思っている。

 両親の教育方針は、「ポイントを押さえた放任主義」とでも言おうか。

 母はいわゆる躾には厳しかったが、子どもたちがやりたいことをやらせてくれた。

 父は、私と姉がケンカをすると「とことんやれ」と言って放っておいた。しかし、最後に私が泣き出すと、「泣くなら最初からやるな」と言うのだった。

 結局のところ、両親ともに、子どもたちを信じてくれていたのだと思う。

 父も母も働き者で、我が家はいつもあわただしかったが、私は自由で楽しい幼少時代を過ごしたと思う。

 母の美容院には住込みの従業員も数名おり、私たち三姉妹の子守もしてくれて、家族同然だった。我が家の人口密度は常に高く、賑やかだった。両親が仕事をしていても、必ず誰かが家にいたし、寂しい思いをすることはなかった。毎日がさまざまな出来事や人間模様に彩られ、お祭り騒ぎのようだった。


 私は末っ子で甘えん坊だったが負けん気が強く、近所の腕白坊主に姉が泣かされて帰宅すると、棒を持ってその子をやっつけに行った。

 体は小さく、中学時代までは前から一〜二番目。でも、男勝りの性格で、小学校でもソフトボールに熱中していたほどだから、体が小さいという理由で腕白坊主に負けるわけにはいかなかった。

 私は、口より先に体が動いてしまうタイプの子どもで、とにかく落ち着きがなくいつも動き回っていた。

 壁があれば、どこまで登れるか試してみる。

 穴があれば、通り抜けられるかどうか挑戦する。

 なぜ、そんなことをするのかと問われても困るのだが、どうでもいいところで、自分の身体機能を確かめずにいられないようなところがあった。もちろん、木登りなどは得意中の得意だった。

 その私がじっと動かず何かに集中しているとしたら、大好きなレゴに没頭しているか、絵を描いているとき。それ以外はいつも動きまわっていたため、父に「チョロ松」とあだ名を付けられ、みんなからそう呼ばれていた。

踊る楽しさを発見


 そんな私は、幼い頃から踊るのが好きだった。私だけでなく、家族みんなそうだった。

 父は洋楽が好きでよく聴いていたし、ノリの良い音楽が流れるとすぐに踊り出した。若い頃に覚えたツイストや、母と踊る社交ダンスもどきも上手で、私たちの前で面白おかしく披露してくれた。父は、気分が良いといつも大好きなプレスリーのレコードをかけ、小さかった私と二人で一緒に踊った。

 母の経営していた美容院では、有線放送が流されていた。有線放送のチャンネルが演歌に合わせられることはなく、店にはいつも流行りの洋楽が流れていた。私は、それに合わせて踊り、スタッフやお客さんを喜ばせていた。

 陽気な大家族。それが我が家だった。私が踊れば、周りのみんなが楽しそうにしてくれる。そのときの愉快な雰囲気は、幼少時のとてもいい思い出としていまでも鮮明に心に残っている。

 月に一度の第一日曜日は、母の美容院の定休日と父の経営する会社の休みが唯一重なる日で、天草や阿蘇などに家族と従業員数名とで日帰りドライブに出かけた。

 ある日、そのドライブ帰りにGOGOダンスコンテストに出くわした。コンテストといっても、有明海に面した仮設屋外ステージで行われている地元の参加者だけの小規模なものであったが、父に乗せられ、気がつくとお立ち台に立ち、大人のお姉さんたちと一緒になって小さい身体で腰を振っていた。

 当時流行っていたGOGOダンスは、テレビで見て覚えていたし、両親の前で音楽に合わせて踊っていたから、私としてはお手の物だった。

 私のような小さな参加者はほかにはおらず、特別賞のようなものをもらった記憶がある。幼稚園児の五歳の私が、初めて手にしたダンスのご褒美である。

 その思いがけない出来事は、幼い私に、大勢の人の前で舞台に立って踊る楽しさを発見させてくれた。だから、その後すぐに本格的にダンスを始めた、と書きたいところだが、実際に私が初めてダンスのレッスンを受けたのは小学校五年生の冬だった。
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