『吉田松陰『孫子評註』を読む 日本「兵学研究」の集大成』
[著]森田吉彦
[発行]PHP研究所
なぜ松陰は『孫子』擁護から筆を起こしたか
巻首は本文に入る前、漢文にして百五十字程度で書かれた短い文章である。
前半では『孫子』を読むにあたっての基本姿勢について、後半では『孫子』全体の構成について、それぞれ簡潔に論じられている。これは、松下村塾での講読で、その最初に松陰が語ったことでもあろう。
松陰はまず、『孫子』の構成がどうであるかには諸説あること、そして、孫子がいうばかりで実行をともなっていないという批判が昔からあることを指摘している。
確かに、前漢の歴史家・司馬遷は『史記』のなかで『孫子』は十三篇としており、後漢の歴史家・班固の『漢書』藝文志には「呉孫子兵法八十二篇、図九巻」とあり、唐の歴史家・張守節は、十三篇が上巻で、ほかに中巻と下巻があるといっている。詩人として知られる唐の杜牧などは、孫武の原書はもと数十万言だったが、魏の曹操(武帝)が註解したときに余計な部分を削りその精神を書き残したと述べている。
『孫子』という書物が本来どのような内容であったのかも分からないようでは、読む価値などあるのだろうか、という疑問が湧くかも知れない。また、『史記』では「よく実行できるものが必ずしもよくいえるわけではないし、よくいえるものが必ずしもよく実行できるわけではない」との言葉が引かれ、孫子は兵法の思想家としては有名だが、実際の戦いにおいて優れていたかには疑問が呈されている。
松陰はこうした見方に対して、一言、そんなことはいままでいい尽くされてきたことであって、だからといってまず孫子を貶してから読むなどという姿勢をとるべきではない、十三篇の書を読んでその真意を体得し、一番重要なところが摑めればそれで良い、と反駁している。