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日本の企業家13 小倉昌男 成長と進化を続けた論理的ストラテジスト
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第二部 論考 稀代のストラテジストを読み解く 戦略思考力、組織洞察力、学習・進化能力

『日本の企業家13 小倉昌男 成長と進化を続けた論理的ストラテジスト』
[著]沼上幹 [発行]PHP研究所


読了目安時間:2時間54分
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 第一部では生い立ちやキャリアに注目して、小倉昌男が宅急便の前後を重要な転機として、ブレークスルーを創り出す偉大なイノベーターであるとともに、組織の力を総合してフォロースルーを積み重ねることのできるコンダクターでもあったことを見てきた。


 小倉は、当初から優れた経営者ではあったが、宅急便を構想し、それを実際に実現するプロセスで、自分自身を大きく成長させてきた。宅急便は、事前には想定されないほどの巨大な潜在需要を顕在化させた。小倉が当初、ヤマト運輸を倒産の危機から救うために打った一手は、その後、日本のインフラへと発展していった。この事業の成長と軌を一にして、小倉自身も一回りも二回りも大きな経営者へと成長していった。


 その小倉の偉大さは、大まかに分けると三つの側面に分類できる。


 まず小倉の戦略的思考である。徹底的な思考を繰り返し、詳細にも注目するが、ダイナミックな変化を視野に収めて的確に焦点を絞り込んでいた。例えば、荷物の密度を高めるために、「サービスが先、利益は後」というメリハリをつくるところなどがその典型であろう。この小倉の戦略思考は、一体どのような構造になっているのだろうか。特に、筆者のような凡庸な人間が小倉の偉大な戦略思考を模倣し、修得するためには、それをどのようにとらえるか、またそれをできる限り実行できるプラクティスに落とし込めるかが重要になる。このような視点から、小倉の戦略思考を深掘りし、その構造を明確化し、それを修得する道筋をつけるための試みが第二部Ⅰ章「小倉昌男の戦略思考力」で行われる。


 小倉の素晴らしさの二点めは、巨大な組織を動かしたことである。小倉が社長を退任する一九八七(昭和六二)年の時点ですでにヤマト運輸の社員数は二万七〇〇〇人を超え、二度めの会長を退任する一九九五(平成七)年には六万一七七五人に成長していた(1)。在任期間にすでにヤマト運輸は数万人の企業になっていた。トラック運送業は工場や本社に社員が集中して勤務する組織ではない。ヤマト運輸の場合はセールスドライバーが全日本に分散して働いているのである。このような組織を小倉は「全員経営」というコンセプトで動かしてきた。これほど分散した巨大組織を小倉はどのように設計し、動かしていったのだろうか。小倉の組織洞察力について深掘りするのが第二部Ⅱ章「小倉昌男の組織洞察力」である。


 戦略思考力も組織洞察力も、小倉はすべてを初めから完成された姿で備えていたわけではない。宅急便の構想とその後の組織・人事に関する思考の積み重ねを通じて小倉は学習し、進化していったのである。こう考えれば、小倉がいかに学習し、いかに進化し続けることができたのか、という点についても若干の考察が有益であろう。少しでも進化できるようになるために、小倉の何を模倣すればよいのか、という点を簡単に記しているのが第二部Ⅲ章「小倉昌男の学習・進化能力」である。


1)ヤマト運輸株式会社編[一九九一]、『ヤマト運輸70年史』(同社)二七六ページ。JMR生活総合研究所[二〇〇〇]、「戦略ケース ヤマト運輸株式会社 ヤマトはネット企業に脱皮できるのか──ネット経済下で模索するヤマト」(http://www.jmrlsi.co.jp/membership/premium/scto/case/2000/yamato_3.pdf#search=%27JMR+ヤマト%27)四ページ。






 経営は論理の積み重ねである。したがって、論理的思考ができない人に、経営者となる資格はない(1)。(『小倉昌男 経営学』)




 経営は論理の積み重ねである。小倉昌男は繰り返し、経営における論理の重要性を語ってきた。特に、「予測が当たるか、当たらないか。経営者にとって(かなえ)の軽重を問われる場面(2)」だと指摘し、戦略的な読みの深さを重視してきた経営者である。小倉昌男という経営者を読み解くには、それゆえ、まず彼の戦略的な思考の深さを読み解くことが重要であろう。それゆえ、第二部の初めに置かれる本章では小倉昌男の戦略思考法の特徴を解明することにしたい。


 本章では、まず一般的に思考するとはどういうことであるのかを整理する作業から議論をスタートする。「なぜ」という問いに対して回答する際に表れる三つのパターンを解説し、その中で「思考」という言葉に匹敵するのはメカニズムの解明をするものだけだと指摘する。小倉昌男はまさにこのメカニズムの解明を行うことができる経営者であったところに、その優れた経営力の源泉があったのである。


 メカニズムの解明をせよ、というのは「言うは易く行うは難し」である。より具体的に、どうすればメカニズムの解明に至るのかという方法論に関する手がかりがなければ、読者にとって小倉昌男を役割モデルとして活用できないに違いない。小倉昌男は、メカニズムの解明を行う上で重要な方法を、具体的にいくつかの模範例を通じて示している。簡単に言えば、複雑な問題に直面した時に、まず典型例を考える。もし典型例がわからなければ、全部集計してみて、大きな流れをとらえる。本書ではそれを、「一に典型、二に集計」と呼んでいる。


 このようにしてメカニズムの解明を行うことができた小倉昌男は、そのメカニズム理解にもとづいて、みずからが関係するシステムについて、大局的でダイナミックな観点を持つことができた。その具体例をいくつか指摘する。


 そのような大局的でダイナミックなシステム観を持つことで、小倉昌男は真に戦略的な思考を展開することができた。この点についても、具体的な事例に言及して確認をしていくことにしよう。



「考えることは大切だ」と誰もが言う。もちろん「考えていないで、とにかく行動せよ」という人もいるが、しかし多くの場合、「自分の頭でしっかり考えなさい」と教わることのほうが多いのではないだろうか。しかし、これほど「考える」ことが大切だと言われながら、その実、「考える」とはどういうことかと問われても、その問いに簡潔に答えることは案外難しい。「考える」という時の思考のプロセスについて何かを語らなければ、「考える」ための訓練が思うようには進まない。それゆえ、ここでは不十分ながらも、思考プロセスのタイプを三つに分けて紹介することから議論を始めたい。

「考える」という思考プロセスは通常、「なぜ」という問いに対する解答の中に、具体的な「型」を見出すことができる。その型をここでは図表2・1に見られるように、①カテゴリー適用法、②要因列挙法、③メカニズム解明法の三つに分類しておこう。




 カテゴリー適用法とは、具体的な何かを、より一般性の高いカテゴリーの一例だと位置づけて説明をしようとするものである。例えば、大切なおもちゃが壊れてしまった子供が父親に対して、「お父さん、どうして僕のおもちゃは壊れてしまったの」と問う場面を想像してみてほしい。例えば父親は「形あるものは必ず滅す」と答えるかもしれない。「形あるもの」というカテゴリーはすべて「壊れる」という特徴を備えており、子供のおもちゃもその「形あるもの」の一例だから、という説明の仕方である。


 要因列挙法というのは、もう少し詳細に原因となる要因を指摘するものである。例えば、同じ壊れたおもちゃの説明をする場面で、①脆弱なプラスティック部品を多用している、②組みつけ部分の精度が悪く、使用経験を重ねるたびにガタがくる、③使い方が乱暴である、というような要因を複数列挙して、おもちゃが壊れたことを説明しようとするのである。


 要因列挙法を論理の型としてみれば実はカテゴリー適用法と同型である。この場合も、脆弱なプラスティック部品が多用された製品というカテゴリーに属する製品は壊れやすい。このおもちゃは、そのカテゴリーに属しているから壊れやすいのである。同様に、組みつけの精度が悪い製品というカテゴリーに属するものは壊れやすい。乱暴に使われた製品は壊れやすい、等々である。違いは、カテゴリー適用法が一つのカテゴリーしか活用していないのに対して、要因列挙法は複数の要因(=カテゴリー)を挙げて、それらが原因となっておもちゃが壊れたという結果を説明しようという構造になっていることである。複数の要因を用いるから、一つずつの要因は具体的になる。カテゴリー適用法がかなり大きなカテゴリーを一つ取り出して、おおざっぱに決めつけるような議論をするのに対して、要因列挙法は複数の要因を採り上げて、より具体的に説明しようとする「考え方」である。


 要因列挙法が複数の要因を並列的に採り上げて、それらが総合的に結果をもたらすという構造をとっているのに対して、メカニズム解明法は要因間の関係に時間の流れが入り込み、また一段階下のレベル(物質であれば、分子や原子のレベル)まで視野に入れた説明を構築する。例えば、脆弱なプラスティック部品を多用し、しかも組みつけ部分の精度が悪い状況のもとで、乱暴な使い方をすると、プラスティック部品が何度も無理に曲げられたりすることになる。このような応力が繰り返し加えられても、一定の範囲内であれば素材の弾力性がこの力を吸収してくれるのだが、実際にはミクロの原子レベルではもとに戻っていないものが存在し、それが累積して「金属疲労」を起こし、おもちゃのパーツが壊れる、というような説明をするのである。



 本当に説明しようとするなら、メカニズム解明法でなければならず、カテゴリー適用法や要因列挙法はそこに到達するための最初のアプローチにすぎない、と考えるべきであろう。それゆえに、思考法として正しいものはメカニズム解明法のみだともいえる。しかし、人に説明をする場合にも、自分で納得する場合にも、すべての現象を常にメカニズム解明法で明らかにしなければならない、ということにはならない。五歳の子供に、応力とか金属疲労などと言っても理解できないであろう。人は自分にとって重要な事象についてメカニズム解明法を活用し、それ以外は比較的簡便な思考法で処理するのである。重要なことは、ここぞ、という時に、徹底的なメカニズム解明法を活用できるかどうか、という点にある。


 この点は企業環境や企業組織などの社会システムについては特に重要である。不偏かつ不変の法則が成立する自然科学の領域とは異なり、社会科学の領域は規則性が見られても法則があるとは限らない。いや、そのような難しい言い方をしなくても、社会現象に関する知恵については、単におおざっぱで例外が多数存在すると言えば足りるのかもしれない。例外が多すぎるのであれば、カテゴリー適用法が有効であるケースは稀である。


 例えば、一時期流行したスマイルカーブの理論などはその典型である。電子デバイスからセットの組み立て、販売、サービスまで上流から下流まで活動を横軸に描き、利益率を縦軸に描いてみると、上流のデバイスと最終段階のサービスの両方は利益率が高く、途中の組み立て工程などは利益率が低い。スマイルマークの口がU字型をしているのにならって、これをスマイルカーブと呼ぶ。しかし、この理論の言うことを真に受けることはできない。あまりにも例外が多いからである。儲からないデバイスは数多いし、儲からないソリューションやサービスも多数存在する。本当に重要なのは、デバイスというカテゴリーではなく、競争相手の数が多いか少ないか、という変数のほうである。しかも、それ以外にも多数の要因を考えないと利益率の説明はできない。在庫が利くか利かないか、買い手が代替品を探し出せるか、価格情報が広く流通しているか、等々、製品・サービスの利益率を左右する要因は数多い。ポーターの業界の構造分析も、全部合わせると四〇個近い要因をチェックしないとならない。しかも、それをすべてチェックしても、説明できないことが多数存在する。


 さらに、要因をチェックしただけでは十分ではなく、ある要因が存在する時に、競争相手や顧客がどのように考えて、どのように反応するかを考慮に入れないと、結果を導き出すことはできない。例えば、設備の最少拡張単位が大きい場合、設備投資のたびに過剰生産能力が業界に生じて、厳しい価格競争に陥ると言われている。しかし、そのことを知るプレーヤーは、そのような業界には参入しないようにするかもしれない。そうであれば、かえって競争相手が出現せず、自社が一社独占をして、過小供給能力を維持して高い利潤を享受することができるかもしれない。逆に、そのような知識のないプレーヤーが存在すれば、闇雲に新規参入をしてきて、業界は血みどろの価格競争を展開するかもしれない。要するに、最後の最後のところで、人がどのような知識を持ち、どのような信念と意図にもとづいて、どのように行為を選択するかという議論が入らないと、社会現象を説明することができないのである。





 必ずしも明示的に三つの思考法に言及しているわけではないが、小倉昌男自身も三つの思考法に対応する議論を著作の中に登場させている。その典型例を紹介しておきたい。


 カテゴリー適用法の典型例として登場するのは、父・康臣の長距離輸送に対する頑なな姿勢である。創業者である康臣は、過去の成功体験から「トラックの守備範囲は一〇〇キロメートル以内」という考え方に固執していた。これに対して小倉昌男は、①道路の改良や②トラックの質の向上などの要因以外に鉄道貨物に対する優位性があることを丁寧に説明して説得しようとする。トラックは、出発時間の自由度が高く、ドア・ツー・ドアのトータル時間で言えば、かなりの距離まで鉄道輸送と対抗できる。国鉄(現JR)の貨物は線路の上を走る時は速いが、貨車を行き先別に連結するなどの作業に大量の時間がかかるため、トータルでは時間がかかるのである。しかも、トラック輸送の出荷単位が大きくなり、トラックの積載率が上がれば、運賃が割安になり、そのことによって荷主が増えるという良循環のサイクルに入ると説明する。昌男が展開するこの説明はメカニズム解明によるものだが、康臣は「トラックの守備範囲は百キロメートル以内でそれ以上の距離の輸送は鉄道の分野だ、と固く信じていた(3)」のである。康臣のカテゴリー適用法の信念と昌男のメカニズム解明法の思考の対比が明確に出ている部分である。


 この康臣と昌男の議論の中で明確になるように、実はカテゴリー適用法は、「思い込み」や「固定観念」に対応する。人間はすべてのことを常に問い直し続けて生きていくことはできないから、多くの思い込みや固定観念を抱えて生きている。当然視している知識が大量に存在するのである。


 しかし、普段は「当然視」することで思考時間を節約して効率的に生きられるが、戦略的に重要な意思決定を行う際には、みずからが「当然視」していること、あるいは自分の持つ「固定観念」を疑い、解体し、組み直さなければならない。そうしなければ、戦略的な転換はできない。この時のヤマト運輸は、康臣の持つ「固定観念」によって、新たに登場してきた関西から関東への家電物流という巨大市場への進出という戦略的な転換ができなかったのである。



 もう一つのカテゴリー適用法あるいは要因列挙法は、宅急便の最初期のアイデアに対する役員たちの反対について小倉昌男が語る場面に登場する。小倉が宅急便の原型について役員たちに提言し始めるのは宅急便が始まる一九七六(昭和五一)年よりも以前、一九七三年頃だと思われる。その際、父・康臣を含めてすべての役員が反対だったという。その反対の論理は、簡単に言えば図表2・2のように、宅急便が百貨店配送のようなものであり、百貨店配送は儲からない、ということであった。しかも、百貨店配送にはない面倒な集荷作業が加わっているのだから、なおさら儲からない、というのである。これも、「百貨店配送というカテゴリーは儲からない」「宅急便は百貨店配送の一種」である、という位置づけによって宅急便が儲からないと主張するカテゴリー適用法だと考えることができる。あるいは、そこに追加の要因として、コスト・アップ要因の集荷業務がつけ加わる、という点を考えると要因列挙法的でもある。小倉の説得にもかかわらず、役員たちの信念は変わらなかった。「百貨店配送は儲からない」という固定観念を当然視し、百貨店配送が現在儲からなくなっているメカニズムを明らかにしようとしなかったのである。やはりカテゴリー適用法や要因列挙法は固定観念に縛られがちな思考法であり、合理的な対話を妨げる硬直的信念を創り出してしまうのである。




 宅急便が利益を出し始めた一九八〇年代になると、今度は逆に数多くの新規参入する企業が出てきた。三五社が参入し、「宅急便の成功はクロネコマークによる」という単純な思考にもとづいて、様々な動物のマークが登場してくる。今度は、「宅配便は儲かる」という固定観念が形成され、付和雷同的な模倣行動が生じたのである。


 カテゴリー適用法や要因列挙法とは異なり、メカニズム解明法にもとづく思考は固定観念の打破を可能にする思考法であり、小倉自身がいくつもその具体例を示している。その典型例の一つは、通運事業の停滞のところに登場する。通運事業というのは、国鉄がレール上で運ぶ荷物の集荷配送を行い、また荷主に交渉するなどの営業活動も含めて行う事業である。ヤマト運輸の多角化事業の業績が停滞し始め、業績が芳しくなくなってきたことを説明する際に、小倉は、一時コンテナ輸送で伸びた時期のあった国鉄貨物が、労使関係の悪化と営業不在という構造的な問題ゆえに衰退していったと指摘する。労使関係の悪化については小倉は深入りしていないが、営業不在の問題については鮮やかにメカニズムの解明を行なっている。


 国鉄の業務は、レール上のものは鉄道営業法によって規制され、駅での活動は通運事業法によって規制されていた。この通運事業法では、通運業者に対して運輸省(現国土交通省)が免許を与えることになっており、国鉄はみずから通運業者を選ぶことができなかった。運輸省側が免許を出した通運業者は、元々トラック輸送に従事している業者であり、自社のトラック輸送で九〇%の売上を上げ、残り一〇%程度を通運業で稼ぐ、というタイプの企業であった。それゆえ、通運業者は自社にとって有利なビジネスはトラック部門に扱わせて、うまみのないビジネスを国鉄貨物に配分していた。こうして、国鉄貨物は利益を上げにくい荷物ばかりを運ばざるをえなくなっていたのである。


 しかも、この説明が自社の通運事業の衰退の場面で登場することに注意する必要がある(4)。自社のトラック部門に利益の出る荷物を回し、国鉄に利益の出にくい荷物を押しつけるという通運業者の行動が、一見、一つひとつの企業にとっては合理的なように見えて、その実、そのすべての業者が同じ行動をとることで国鉄貨物が衰退し、その結果、自社の通運事業が衰退するということになるのである。多くの通運業者が自社の短期合理性を追求した結果として、国鉄貨物が衰退し、それが自社の通運事業を衰退させるという意図せざる結果の解明がなされている。この点に小倉昌男のメカニズム解明の力量が見て取れるのである。


 ここまでの紹介でおわかりいただけたように、小倉昌男はカテゴリー適用法や要因列挙法で留まってしまう人々の思考を、固定観念に縛られた、非合理的なものだと考えていたように思われる。過去の成功体験や深く考えられていない常識に縛られて、自分の頭で現状の条件をインプットして柔軟に思考を組み替えることができていない、という評価を与えているのである。これに対して、メカニズム解明法は固定観念を打破し、新しい気づきを与えるものであり、それゆえに、他者のまだ気づかない深い理解をもたらし、新しいビジネスを切り開かせるものなのである。





 国鉄貨物の衰退あるいは自社通運事業の停滞のメカニズム解明を見れば、小倉が優れた思考法を備えていたことは明らかであろう。しかし、その優れた思考法をどうすれば手に入れることができるのだろうか。人間は、どのようにしてメカニズムを解明することができるようになるのであろうか。この点についても小倉は手がかりを多く書き残している。小倉自身が宅急便開発で悪戦苦闘していた時に、どのように考えていたのかが率直に語られているのである。


 ここではまず「一に典型、二に集計」というアプローチを紹介しておくことにしよう。簡単にまとめると、次の通りである。

(1)典型:全体が複雑でわからない時は、典型的な例を考えて、その典型が示す挙動を考える。その典型例の挙動にもとづいて全体を構想する。

(2)集計:典型の挙動が不確実で予測不可能な時は、それらを多数集計してみると、一つひとつのランダムな挙動が相殺されて、全体としてのパターンが見えるようになるかもしれないと考え、一段高い集計レベルに視点を移す。



 典型あるいはモデルケースを用いた地道な計算は小倉が最も得意とした思考法である。例えばウォークスルー車の開発について言及した部分などに見られる。宅急便の作業ではセールスドライバーがクルマを乗り降りする回数が非常に多い。通常のトラックは運転席側から後方を確認して右側のドアから降りて、トラックの後ろに回らなければならない。しかし、ウォークスルー車は運転席から直接荷台に入って作業ができ、左側のドアから降りることができる。例えば宅急便のトラックが一日あたり八〇回乗り降りするとしたら、この後方確認等で一五秒短縮できれば、一日に二〇分も短縮できる。おそらく実際には一〇〇回以上、場合によっては二〇〇回近く乗り降りするとすれば、二五分から五〇分も時間を節約できる。典型例を用いた計算をして、その経済効果の大きさを想定できるから、ウォークスルー車の開発に費用をかけることも自信を持って行えるのである。


 ウォークスルー車の開発に見られる典型の使い方も見事ではあるが、小倉が示した典型による思考が最も鮮やかに見られるのは、宅急便の損益分岐点を思考していた時のことであろう。宅急便の損益分岐点がどの程度であるのかということを予測しようとした時に、小倉は困難に直面した。ネットワーク全体の損益分岐点を考えようとしても、ネットワーク全体が複雑なので簡単には予測が立たないのである。


 しかし、一台一台の集配車に注目すれば損益分岐点の予測が立てられることに小倉は気づく。出張でニューヨークに出かけマンハッタンで四つの角に四台のUPSのトラックを見た時に、その着想が浮かんだのである。


 一台の集配車については、車両の減価償却費や人件費や燃料費等々のコストはおおよそ決まっていると考えることができる。それゆえ、一日に荷物を何個集配できれば、その一台の損益分岐点を超えることができるかという推測をすることは可能である。


 マンハッタンでは一ブロックに一台ずつトラックが配置されていた。ここから小倉の思考はめぐる。宅急便ビジネスへの進出が成功につながると確信した瞬間についての思考なので、ここでは『経営学』から直接引用をしておきたい。



 東京都中央区は面積が約十平方キロメートルであまり広くはない。しかし集配車一台で全部をカバーするのは無理である。中央区は銀座、京橋、日本橋、築地、月島の五つの地域に分けられる。五台の集配車で各地域を一つずつ受け持てば、まがりなりにも集配作業をこなすことはできるだろうが、一日にできる仕事の量は限られている。


 では、もし車両を二倍にしたらどうなるだろう。一台当たりの受け持ち区域の広さは半分になる。したがって集配の能率は二倍になる。事業が順調に伸びて車の数が十倍になれば、受け持ち区域は十分の一になる。面積十平方キロメートルの中央区に集配車が五十台、ということは一台当たりの受け持ち区域は〇・二平方キロメートルである。そのくらい狭くなれば、一台の集配車で一日に百個くらい扱えるようになるはずである。


 ネットワークシステム全体の損益分岐点がいくらくらいで、何年たてば超えることができるかはなかなかわからないが、集配車一台当たりのコストははっきりするし、一日に何個扱えば損益分岐点を超すかもはっきりしている。おそらく、四〜五年で利益が出るようになるのではないか。


 個人からの荷物の宅配は絶対儲かる。問題は、一台当たりの集配個数をいかに増やすかにかかっている。新しい市場に転換しても儲かるはずだ──。私は強く確信したのである(5)。



 この推論のプロセスでは、複雑で思考の及ばない損益分岐点の問題を、ネットワーク内の部分である集配車一台の典型に注目して、損益分岐点をおおよそつかみ、いつまでに損益分岐点に到達するかを推測している。実際に一九七六年に始めて、一九八〇年度には損益分岐点を超えるのだから、「四〜五年」というのは、事後的な確証バイアスがかかっているとしても、確かな読みをしていたように思われる。


 また、この引用には「荷物の密度」の意味がうまく盛り込まれていることに気づかれた読者も多いのではないだろうか。小倉の書く本の中では、面積を一定とすると「荷物の密度」は個数になるので、単にネットワーク上を流れる荷物の個数だという説明が加えられていく。しかし、集配車が受け持ち範囲を狭くしていくと、移動距離が短くなるので、電話一本で顧客の所に駆けつけるのに必要な時間が減り、集配効率が高まり、その結果、サービスが向上して、荷物の数が増える、という発想がこの部分には隠されている。単位面積を狭めることによって、集まる荷物の個数を高めていくという狙いが読み取れるのである。小倉が「荷物の個数」と言わずに、「荷物の密度」と呼んでいた背景には、面積と個数の間のダイナミックな関係が盛り込まれていたのである。



 典型がわからない時は集計という手法を用いる。具体的には個人宅配のビジネスを開発する際、ミクロに注目した思考で解決策が見つからない時に、マクロの鳥瞰図的な視野に立って宅急便ビジネスの基本に気づく場面がその具体例である。


 家庭用の宅配ビジネスを開発しようと思考を重ねている際に、小倉は、一つひとつの荷物に注目していると思考するのが難しいということを認識した。家庭から出る小口の荷物は、「どこの家庭から出荷されるかわからないし(偶発的)、どこに行くかも決まっておらず(非定型的)、その需要はつかみどころがない(6)」ように見える。市場は大きく魅力的ではあるが、商業貨物とちがってどこから荷物が出てくるかわからず、集荷依頼の電話を受けても個人宅を探し当てるのに時間がかかる。「なんとか事業化したい、しかし計画が一向に立たない」という困難な状況の中で、小倉は視点を変更して常識あるいはそれまでの思い込み(固定観念)を覆していく。


 個々の荷物の「典型」を考えようとすると、その典型が多様にありすぎて整理された議論が組み立てられない。しかし、多様なところから出現し、多様なところへ向かう荷物を、非常に数多く足し合わせてみると、その集計レベルの荷物の流れにはある程度の規則性が出てくる、という点に気づく。ミクロに見るのと、マクロに見るのとでは大きく考え方が変わってしまうということである。



 人間が生活しその必要から生ずる輸送の需要は、個々人から見れば偶発的でも、マスとして眺めれば、一定の量の荷物が一定の方向に向かって流れているのではないか。個々の需要に着目しているうちは対応の仕方がわからないが、マスの流れに着目すれば、対応の仕方があるのではないか(7)。



 この気づきによって、「荷物の密度」が高まれば、大きな流れをビジネスとして成立させることができる、という基本的な考え方が固まっていく。すなわち、宅急便をネットワーク・ビジネスとしてとらえ、荷物の密度を高めることで損益分岐点を超えていく、という基本シナリオができるのである。


 ここで筆者は「集計」という言葉を使っているが、小倉昌男本人の言葉を使うなら、飛行機から見るとか、鳥になって鳥瞰するという言い方が適切に見えるかもしれない。



 私は考えた。もし飛行機に乗って空から眺めたら、毎日たとえば中野区からは一定の量の小荷物が、大阪へ札幌へまた仙台へと流れているに違いない(8)。



 ふっと思った。鳥になったつもりで、高い所から文字通り(ちよう)(かん)してみたらどうだろう。毎日、東京から大阪へ、あるいは名古屋へと一定量の荷物が動いているのではないだろうか。個々の荷物はとらえどころがなくても、流れとして見れば、十分な需要があるはずだ(9)。



 あるいは小倉のもとで営業部長を務め、後にヤマト運輸の社長及びヤマトホールディングスの会長兼社長を歴任した有富慶二も次のように語っている。



 小倉さんは理論家であり、頭の良い人でした。そして事あるごとに、「鳥の目で物事を見よ」と言っていました(10)。



 しかしながら、「鳥になったつもり」や「飛行機に乗って」というのは、宅急便の場合には実際に夜の日本列島の自動車の光をイメージするなどわかりやすい例になるが、一般には簡単に使いやすい思考の手がかりにはならない。「鳥の目、虫の目」のような指針も、目指すべき方向を示してはいても、どのようにすれば「鳥の目」を得られるのかという手がかりはない。わかったような気にはなるかもしれないが、その実、日々の生活の中で使えるレベルの知恵には具体化できていない。


 ここで小倉が「鳥」や「飛行機」という視点を重視しているのは、「個々人から見れば偶発的でも、マスとして眺めれば(11)」という指摘からもわかるように、ミクロレベルの偶発的な要素を相殺して大きな流れを見るためである。一つひとつのランダムな部分を消せば、大きな骨格や流れが見えるようになる、という指針のほうが、具体的にどう考えればよいのかを示唆する部分が多いと思われる。それゆえ、筆者は鳥瞰図を描くとは言わずに、集計することでランダムな要素を相殺する、ということを強調するために「集計」という言葉を選んでいる。




 複雑な問題を典型に注目して分析したり、集計レベルを上げて基本骨格を把握したり、という思考を積み重ねている小倉昌男は、具体的な意思決定の場面で優れた判断を行うことができる。固定観念にとらわれずに、人が思いつかないような新しい道筋を見出し、独自の判断をすることができるのである。


 本節では、小倉昌男の戦略思考力によって可能となる「驚きのある意思決定」について見ていくことにしたい。ここで「驚きのある意思決定」というのは、狭い意識から自由になった視野の広い意思決定や、時間的な展開の読みが深くダイナミックな社会システムの変化をとらえた意思決定のことを指す。いわば空間的な大局観と時間的な大局観という二つの特性を小倉昌男の思考には見出すことができる。いずれも複雑な社会システムをダイナミックに読み解くメカニズム解明法の思考力が背後にあるから実現できるのだと考えられる。



 小倉昌男の意思決定を見ていくと、一見損に見えることが得であるという判断や、一面的には得に見えることが実は損であるという判断に驚かされることがある。普通の人にはなかなか思いつかない総合判断の視野の広さを見せつけられる、という印象を受けるのである。


 例えば、セールスドライバーの荷物の事故処理権限を三〇万円としたところなどは、その決定内容も、その判断理由も、読み手を驚かせる。

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