私は都合のよい家政婦じゃない
離婚を認めるべきか否かの尺度として、これからの時代に一番ふさわしいのはQOLだと、私は思っている。
熟年離婚の可否は、QOLを尺度として見ると分かりやすい。すでに見たように、QOLの要件は、経済的安定と精神的自立だ。住む家があり、年金分割も認められ、経済的安定がそこそこ得られる見通しがつくなら、嫌な配偶者と死ぬまで我慢して生きる人生は悲しすぎる。老後も妥協せず、残りの人生を悔いなく生きようというポリシーを実現するのみである。QOLのために熟年離婚を求める高齢者が増えるのも、当然の成り行きであると言える。
最近、QOLを求めて離婚を申し出るのは、圧倒的に女性のほうである。五十代、六十代の女性は、平均寿命がまだ三十年間もあるのだから、これからが自分自身の人生だと感じているのだろう。子どもたちのためでも夫のためでもない、私自身のために生きていきたい。夫は私のことを都合のよい家政婦ぐらいに思ってきたのだろう。家事・育児いっさい手伝ってくれたことはなかったし、休みの日も仕事だ、接待ゴルフだと言って外出ばかり。毎晩家には寝に帰ってくるだけで、会話らしい会話もなかった。セックスにしたって自分本位で、済めばサッサと背を向けて高いびき。愛情や思いやりなんてまったく示してはくれず、ギリギリの生活費を渡してくれるだけで、給料がいくら、ボーナスがいくら出たかも知らされなかった。生活費は「お願いします」と言って必要なだけもらい、子どもたちの学費もお願いして出してもらった。夫婦が対等なパートナーだなんて、夫は思ったことはなかったのだろう。私だって子どもを育てて、家計をやりくりし、姑に仕え、必死に家を守ってきたのに──。
妻はどちらかというと控え目で耐えるタイプ。開放的ですぐに発散できる性格ではないから、夫のなにげない言葉や態度に傷ついても、それを表明しようとせず、内に溜め込んでいった。そして何十年もの時が流れ……。
最近、私の事務所にはこうした中高年齢の奥さんからの訴えが、立て続けに来ている。
「明日からごはんは自分でつくってください」
たとえばS子さん、六十歳。夫のS氏は六十一歳。その定年退職の日が、運命の別れ道となった。S子さんは言った。「明日からは毎日、ごはんは自分でつくってください。もうあなたの家政婦ではありませんから」。するとS氏は「何だって?」と怒鳴った。「明日から飯は自分でつくれ? 何だそれは? 俺は今日まで会社で一生懸命働いて、お前たちを食わせてきたのだ。『定年退職、お疲れさまでした。これからは家でゆっくりお過ごしください』と言うのが当たり前じゃないのか? えい、くそ。もういい」と怒り出し、その怒りがドンドン増幅していって、ついに心頭に発し、「離婚だ。出て行け!」とまで叫んでしまった。
これを聞いたS子さんも切れた。「ああ、これではもう、この人との老後に安らぎはない。離婚ですか? はい、離婚できるなら離婚しましょう。もうたくさん。幸いなことに家は二カ所ある。一つは三年前に実家の父が残してくれた私名義の家。もう一つはローンの済んだこの家だが、夫に渡すのは嫌だけれど、いずれ息子が相続したらいい。退職金を半分もらって、年金分割もすれば、もうこんな夫と何年も角つきあわせて一緒にいることはない」と、すぐさま決断した。
「夫が『離婚だ。出て行け』と言うのは、若いころにも一度や二度あったこと。そのときは子どもも小さかったし、出ていく先もなかったし、そんな暴言にも耐えた。でも、もうここまできたら、売り言葉に買い言葉というものではない。本気で離婚しますと宣言しよう」
S子さんはこの定年の日のことをしっかり日記に書きとめて、家を出る準備に入ったのだった。
それから半年後、S子さんは家を出た。弁護士に頼み、離婚を前提とした話し合いを申し入れることにした。弁護士からその旨を知らされた夫の驚くこと、驚かないこと。「何だと? 離婚とは言ったが、本気で言ったのではない。定年の日に『明日から毎日、飯をつくれ』などと妻が暴言を吐いたから、叱るつもりで言ったのだ。離婚に応じる気はありません」
こういう話を聞くと、熟年になっても夫婦とはなんと難しいものかと思う。「離婚だ!」と言っておきながら、「いや、本気で言ったわけじゃない」と言う夫に対して、「定年後離婚できるなんて思っていなかったのですが、たまたま夫のほうが離婚だと叫んだ瞬間、それがいいと気がついたんです。目覚めたと言ってもいいと思います。もういまとなっては私の気持ちは離婚しかありません。一緒にいたらストレスで、病気になってしまいそうです」とまで言い切る妻。
しかし、話し合いは成立せず、調停の申立てとなった。
「なぜだ? 何でそうなるのか?」
こればかりではない。T子さんのケースもこれとよく似ている。T子さん、六十八歳。夫のT氏、七十一歳。T氏は自営で小さな個人店舗を経営してきた。妻ももちろん朝から晩まで夫について働きつづけた。三人の娘たちも立派に育て上げ、それぞれ結婚して家を出て行った。七十歳を目前に夫は店をたたむことにして、知り合いに店の権利いっさい、営業権も含めて譲渡し、引退することにした。さあこのとき、妻は何と言ったか。
「お店をたたむなら、これで私は失礼します。結婚生活は卒業させてください。お父さんには山梨の実家があるから、そこへ行ってもらえませんか。東京の家は私が守ります。三女夫婦がまだ家がないから、しばらく一緒に暮らしたいと言っているので、そうさせてくれませんか」
T氏は仰天した。「なぜだ? 何でそうなるのか?」。