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いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道
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生き方・教養
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第二章 武士道の源はどこにあるか

『いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道』
[著]新渡戸稲造 [訳]岬龍一郎 [発行]PHP研究所


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◆仏教と神道が武士道に授けたもの

 まずは仏教から論じよう。仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。具体的にいうならそれは危難や惨禍(さんか)に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、死と親しむことであった。

 ある一流の剣術の師匠(柳生但馬守宗矩(やぎゆうたじまのかみむねのり))は、剣の極意を会得(えとく)した弟子(徳川家光)に「私が教えられるのはここまで。これより先は禅の教えに譲らねばならない」と告げた。「禅」とはディアーナ(Dhyna)の日本語訳であり、それは「言語による表現範囲を超えた思想の領域へ、瞑想をもって到達しようとする人間の努力を意味する(注一)」。

 その方法は座禅と瞑想であり、その目的は私の理解するかぎりでいえば、あらゆる現象の根底にある原理について、究極においては「絶対」そのものを悟り、その「絶対」と自分を調和させることである。このように定義すれば、その禅の教えは一宗派の教義を超えている。そしてこの「絶対」を認識し得た者は誰でも、世俗的なことを超越して「新しき天地」を自覚することができるのである。

 仏教が武士道にあたえられなかったものは、日本古来の神道がそれを十分に補った。他のいかなる宗教からも教わらないような、主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝心などの考え方は、神道の教義によって武士道へ伝えられた。それによってサムライの傲慢な性質に忍耐心や謙譲心が植えつけられたのである。

 神道の理論にはキリスト教でいうところの「原罪」という教義はない。むしろ逆に、人間の魂の生来の善良さと神にも似た純粋さを信じ、魂を神の意志が宿る至聖所として(あが)めている。神社に(もう)でる者は誰もがすぐに、その礼拝の対象物や装飾的道具がきわめて少ないことに気づくだろう。奥殿に掲げられている一枚の鏡だけが主要なものであるからだ。
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