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いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道
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生き方・教養
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第四章 勇 ―― 勇気と忍耐

『いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道』
[著]新渡戸稲造 [訳]岬龍一郎 [発行]PHP研究所


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◆義を見てせざるは勇なきなり

 勇気は、義のために行われるものでなければ、徳の中に数えられる価値はないとされた。

 孔子は『論語』において、よく使う彼一流の否定的な論法で「勇」の定義を、「義を見てせざるは勇なきなり」と説いた。この格言を肯定的にとらえるなら、「勇とは正しきことを()すこと」である。

 だが、あらゆる種類の危険を冒し、一命を投げ出し、死の淵に臨む、といったことは、しばしば勇気と同一視されるが、武器を用いる職業の者にあっては、このような猪突猛進の行為は賞賛には値しない。シェークスピアが「勇気の私生児」と呼んだごとく、武士道でも死に値しないもののために死ぬことは「犬死(いぬじに)」とされた。
「戦場に飛び込み、討ち死にするのはいともたやすきことにて、身分の(いや)しき者にもできる。生きるべきときは生き、死ぬべきときにのみ死ぬことこそ、真の勇気である」と水戸義公(水戸光圀(みつくに))はいった。が、義公がその名前すら開いたことのなかったプラトンも、勇気とは「恐るべきものと、恐れるべきでないものを識別すること」だと定義している。西洋でいうところの道徳的勇気と肉体的勇気の区別は、わが国にあっても昔から認識されていた。
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