読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/9/29 UP)

犬耳書店は、姉妹店のRenta!(レンタ)へ統合いたします。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-2
kiji
0
0
1271126
0
いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道
2
0
0
0
0
0
0
生き方・教養
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第九章 忠義 ―― 武士は何のために生きるか

『いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道』
[著]新渡戸稲造 [訳]岬龍一郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:12分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ

◆日本人の「忠義」の独自さ

 封建道徳の多くの徳目は、別の倫理体系や異なった階級の人々とも共有しているが、忠義という徳、すなわち主君に対する服従や忠誠の義務だけは、独立した特色を示している。私は個人的な忠誠が、あらゆる種類の人々や境遇においても存在する道徳的な結びつきであることを承知している。スリの一味であるフェイギン(ディケンズの小説『オリバー・トウィスト』の中の人物)のような親分にさえ忠誠を捧げている。だが、忠誠心が最高に重んじられたのは、武士道の名誉の掟においてのみである。

 ヘーゲル(ドイツの哲学者)は、封建制の臣下の忠誠が、国家に対してではなく個人に向けられたものであったことから、そのような義務は不当な原理の上に成り立つ(きずな)であると批判した(注一)。にもかかわらず、彼と同国人であるビスマルクは、個人に対する忠誠心がドイツ人の美徳であるとしてそれを誇りとした。彼がそうみなしたことには十分な理由があった。なぜなら、彼が誇りとした「忠義(Treue)」は祖国、あるいは一国家、一民族の専有物であるからではなく、騎士道における好ましい果実が、もっとも長くまで残されていたからである。
「万民の平等」を唱え、これにアイルランド人が付け加えたように「同時に、誰よりも優れている」と思っているアメリカでは、私たち日本人が主君に対して感じるような気高い忠義の観念については、「一定の範囲内においては優れたもの」であるが、わが国民が奨励したように甚だしいのは不合理だと思うであろう。

 モンテスキューはかつて、「ピレネー山脈のこちら側では正しくとも、向こう側では誤りとなる」と嘆いたが、最近のドレフュス事件(訳注一)では、彼の言葉が正しかったことが証明された。フランスの正義が通用する国境はピレネー山脈のみではなかったのである。これと同様に、私たち日本人が抱く忠義の観念は、他の国ではほとんどその賛成者を得られないだろう。それは私たちの観念が間違っているからではなく、いまや他の国では忠義が忘れ去られていたり、他のいかなる国も到達できなかった高さまで日本人が発達させたからである。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:4723文字/本文:5615文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次