― 企画のヒントは「記憶」の延長線上に ―
火のないところに煙は立たない。
無から有は生まれないし、素材がなければ料理もできない。
企画も同じだ。料理のために食材を集めるように、まずは企画のための材料やデータを集めなければならない。その材料やデータの出発点は何かといえば、「記憶」である。
わかりやすい例をあげてみよう。
二〇〇七年の夏頃……。
旧知の音楽ディレクターから、
「新人歌手の詞を書いてもらえませんか?」
と依頼を受けた。
資料として届いたのは、顔写真とデモ用のCD。歌を聴いて驚いた。
黒人の青年が演歌を歌っていたからだ。
「ヒップホップ系の黒人青年が、演歌のコブシを回して歌っているのが信じられない。このギャップが面白いな」
そう感じたのだ。
デビュー曲として宇崎竜童さんの曲が既に上がっていた。曲を聴きながら、彼と歌とのギャップの面白さを何とか詞に生かせないかと考えた。そこで、最初に思いついたのが「女ことば」で書こうということだった。ガイジンが女ことばで歌っている……そこが面白いのではないかと思ったのだ。
次に考えたのは、彼自身はピッツバーグ出身の青年だが、詞のどこかに日本の地名を入れようということだった。つまり、「女性が男を追っていくような演歌の世界観」をぼんやりと考えたのだ。
そのときに、僕の脳の中では自分がいままで見たものであるとか、風景とか、言葉の検索がはじまるのである。
これはもう冬だ、北国だな。そのときは海とは思わなかったが、とにかく雪が降っている……という情景が浮かんでくる。でも、これはやはり太平洋ではなく、日本海側だろうな、と。
そうしていろいろ考えているうちに、「記憶」が登場するのだ。じつは、僕の事務所のプロデューサーの父親が新潟出身なのだが、会議などで打ち合わせをしているときに、たまたま新潟出身の人が同席して故郷話になると、
「私の父も新潟なんですよ」
「どちらですか?」
「出雲崎なんです」
という会話が何度となくなされ、僕の「記憶」の中に残っていたのである。
別にメモを取っていたわけでもないし、ごくふつうの日常会話である。この時点で僕は出雲崎に行ったこともないし、どこにあるのかも知らない。
出雲崎……、ああ、そうか。日本海で、海があるんだな。そこに雪が降っている。そんな風景が目の前に広がってきたのだ。
以前、旅をしていたとき日本海に降っている雪を見ていたら、どんなに大量の雪が降っても、海には積もらないんだな、と思ったことがある。当たり前といえば当たり前だが、悲しいほどに儚い感じがした。
それは、恋の未練と同じことなのではないか。つまり、どんなに愛しくてもどんなに悲しくても、海の中に溶けていってしまうんだなと思ったのだ。そんな「記憶」がふっとよみがえってきて、それが「あなた 追って 出雲崎 悲しみの日本海」という歌詞になったのである。
もうひとつ、例をあげよう。
僕の企画ではじまった「AKB48」というプロジェクトがある。次世代の可能性のある女の子達を発掘し、もっともエネルギーのあふれる街、秋葉原から新たなアイドルを誕生させようという試みだ。
コンセプトは、「会いに行けるアイドル」。オーディションによって選ばれたメンバーが、専用劇場の「AKB48劇場」で毎日ステージを行ないながら、全国区デビューを目指すというものである。
もともとの発想は、劇団とか、ロックグループとか、バンドとかの話を聞いた「記憶」からはじまった。彼らによると、
「いやあ、はじめは客が入らなくて、二〇人ぐらいだったんですよ」
必ずと言っていいほど、そんな話になるのだ。
ところが僕はテレビ出身なので、手掛けた番組が放送されたら、いきなり一〇〇万人単位から考えがはじまる。全国にネットされた番組の視聴率の一パーセントが、一三〇万人という世界だからだ。しかし、テレビの視聴者はいわば通りすがりの人々だが、何かを観たり聴いたりすることだけを目的に、その場所に行くという人が少しずつ増えていくのはすごいことだなと思ったのだ。
たぶん、これからの多チャンネル時代、通りすがりの人だけを待っていても、観るものがいっぱいあるから、同じことをやっていては勝てるはずがない。だとしたら、定点でやろう。立ち止まって、そこだけで観られるようにしようと考えたのだ。
そういえば「おニャン子クラブ」を手掛けたときも、少しずつファンが増えて、人が人を呼んで広がっていった。そんなアイドルを育てることが面白いかもしれないと思って、アイデアを転がしているうちに、
「ああ、そうだ。会いに行けるアイドルにしよう」
そう思いついたのだ。
アイドルというのは、「追っかけ」と呼ばれる人たちがいて、アイドルがテレビ局にいれば、入り待ち、出待ちして、レコーディング・スタジオに行ったりして、ずっと追いかけている。でも、ちゃんとした形で会えるのはコンサートのときだけだ。
「だったら、同じ場所でずっとコンサートをやっていれば、いつでも会いに行けるじゃないか」
そんな発想が企画につながったのである。
それは、やはり僕の中で「おニャン子クラブ」の経験とか、バラエティーをつくったり、歌番組をつくっているときの経験とか、いろいろなものが「記憶」されているからなのだ。
つまり、発想や企画のヒントは、日常の中に転がっていて、それを「記憶」するところからはじまる。
その「記憶」はアットランダムに並んでいて、たとえば詞を書く、あるいは映画をつくる、小説を書くといったときなどに、何を引き出してくるか、何と何を結びつけるか、ということなのだ。
発想や企画というと、白紙の状態からウンウン唸るような感じがするが、じつはそうではなくて、自分が面白いと思ったことを思い出す、あるいは「記憶」に引っ掛かっていたことを拾い上げるという行為なのである。
では、その面白いこととは、何か。
コンテンツを盛りつけるには、いろいろな「器」がある。たとえば僕の場合でいえば、作詞、小説、テレビ、映画、コマーシャル、舞台などのコンテンツである。それらを前にして、
「この『器』に合う面白い話、なかったっけ?」
と探すのである。
女子大などの若い女性だけの講演会では、やはり恋愛に関した面白い話をする。反対に年輩の人たちがすごく多ければ、美空ひばり秘話を話すことになるだろう。つまり、そこで求められている部分において、求められている器に合わせて、何を思い出すかということだ。
思い出すためには、「記憶」しなければならない。その「記憶」とは、その人が何を見ているかによって決まってくるのだ。
料理でも同じだろう。焼き魚を器にのせてみたときに、魚だけでは見栄えがしないと感じたとき、何か色のあるものを添えたくなる。
それが、緑の野菜なのか、煮物なのか、揚げものなのか。それとも、ちょっと変化をつけたバターソースなのか。そんなときに、また別の「記憶」が引き出されて結びつき、発想が広がって企画という名のレシピができあがる。
つまり「記憶」の数だけ食材があり、その食材を利用したさまざまなレシピが可能なのである。
ただし、だからといって忘れまいとしてメモには取らないほうがいい。なぜなら「忘却」、つまり「忘れる」というフィルターがかかることによって、不必要なもの、重要性のないものがどんどんこぼれ落ちていくからだ。
忘れてしまうことは、しょせん「記憶」に値しない。それだけのことなのである。
では、そのレシピ=企画をどうやって創りだしていくのか?
それには、僕なりの、秋元流の方法論がある。それは、「差別化」ということである。
たとえば、自分が豆腐料理をつくるとしたら、世の中に同じような豆腐料理はいっぱいあるだろう、と考えるところからスタートする。だとしたら、他の豆腐料理との差別化をどうするか、と掘り下げるのである。
豆腐という食材を前にして、他の人たちだったら麻婆豆腐をつくるだろうな、と推理する。他にも冷や奴をつくる人がいるだろうし、豆腐の味噌汁、湯豆腐、あるいは皮蛋豆腐をつくる人がいるかもしれない。
そんなふうに何通りもの選択肢が出てくるが、僕の発想・企画法の道筋からいえば、それをどんどん外していくことからはじめるのだ。当たり前のことを当たり前に考えるだけでは企画とは言えない。
コマーシャルのプレゼンでも、まず当たり前のことをできるだけ考えて、その当たり前のことは「たぶんここの代理店がやるだろうな」と見当をつけた上で、全部外していくのである。
その上で、豆腐料理としていちばん企画性が高いものと、いちばん企画性が低いもの。言葉を変えていえば、許容量の問題と言えるかもしれないが、世間的に受け入れられるマジョリティと、一部の人にだけ受け入れられるマニアックさの幅をつくるのである。
麻婆豆腐も湯豆腐も皮蛋豆腐も全部外していって、豆腐をカレーの中に入れて「豆腐カレー」にしようと思いつく。ただし、豆腐をカレーの中に入れるという発想は、たぶんマジョリティであるだろう。なぜなら、それが豆腐料理のバリエーションとして、みんながいちばん納得できる感じがするからだ。
そこで、もう一方のマニアックな一品としては、豆腐と小豆を混ぜて、そこにアイスクリームをのせて、グジャグジャにかき混ぜて、ヘルシースイーツみたいなものができないか、と考えるのだ。
つまり、豆腐とはミスマッチなものを考えてみるのである。ただし、この豆腐スイーツだと、非常にマイナーな、新しい物好きな人たちだけが食べて、スタンダードにはならないだろう。一方、こっちの豆腐カレーは、インパクトが弱いかもしれないが、もしかしたらみんなが受け入れて、スタンダードになるかもしれない。
そんなふうに考えながら、企画をシェイプアップしていく。
もともと豆腐という食材は、基本的には何でも合ってしまうのだが、その中でも合わないものは何か。この振れ幅のなかで、企画としての豆腐料理の一皿に、だんだんフォーカスを合わせていくのである。
売れる「企画」、驚かせる「企画」、儲かる「企画」……さまざまな「企画」を求められて、僕は走りつづけてきた。そのなかで、僕は僕なりの技術を身につけて、「企画脳」といえるものをつくりあげてきたのだ。
本書は、そんな秋元流の発想・企画法を、具体的な例をあげながら書きこんだつもりである。
練り上げられた「企画」というボールを、時代というバッターに向かって、どう投げ込んでいくか。インコースぎりぎりに投げ込むのか、それともアウトコースいっぱいに攻めるのか。
それは、あなた次第ということになる。